2016年11月19日土曜日

Safety Pinー安全ピンで止める人種の亀裂


Safety pinは安全ピン。Safety Pin Movementは「安全ピン運動」。New York Times (2016年11月14日)は “Safety Pins Show Support for the Vulnerable” (安全ピンは弱者を支持する印だ)と題する記事を掲載した。

11月9日の米大統領選挙で、Donald Trump氏が第45代大統領に選出されることが決まってから、アメリカではトランプ支持者の人種・性差別などによる嫌がらせが表面化し、暴力沙汰にまで発展する事件が頻発している。これに抗議する運動として、胸に安全ピンを付けるのが、リベラル派の新たな運動として始まった。

“It’s a matter of showing people who get it that I will always be a resource and an ally to anyone and everyone who wants to reach out,” said Kaye Kagaoan, 24, a graphic designer from the Philippines who lives in Brooklyn. “When I saw it on Facebook, it was so simple. It resonated with me.”(NYT)
(これって、助けを求めているどんな人にでも、みんなに私が寄り添っていることを示せるじゃん。FBで見たとき、簡単じゃん、ガツンときたよね、とフィリピン出身のグラフィックデザイナーのKaye Kagaoan)

つまり“If you wear a hijab, I’ll sit with you on the train.” (もし、あんたがヒジャブ=ケープをかぶっていたら、電車の中で私が横に座ってあげる)“If you need me, I’ll be with you. All I ask is that you be with me, too.”(もし私が必要ならば、私はそばにいるよ。私が求めてることは、あなたがそばにいるということなんだ)イスラム教徒、移民、難民、女性、L.G.B.Tの人たちみんな、仲間だという印が安全ピンだ。

さて、この運動起源は、2016年6月26日、イギリスが欧州連合から離脱を決めた国民投票を受けて、Twitter user @cheeahsが人種差別に対して団結するために安全ピンを胸につけるキャンペーンをしたのが始まり、という。

「どこの家にも安全ピンはあるし、すぐに参加できる運動」です。

でも、Some Twitter users voiced criticisms of the safety-pin trend, calling it “slacktivism,” a word that blends “slacker” and “activism.” They expressed concern that wearing something doesn’t equate to action. (あるTwitterのユーザーは、こんなのslacktivismと、安全ピン運動を批判している。slackerは「怠け者」でactivismは「活動」で、こんなだらけたやり方で行動とは言えない)

でも、本当にそうだろうか?どんな運動でも最初は小さく、最後に世界を変える力になるのだから、バカにしてはいけない。



2015年11月11日水曜日

bush の俗語の意味に注意しよう


bush は草むらとか茂み。the を付ければ、the bush で未開の奥地を意味する。
だが、俗語ではアメリカの前大統領 George Bush。彼のお父さんも George Bush で第41代大統領。いずれも、湾岸戦争、イラク戦争をやったので、評判が悪い。Urban Dictionary によると、Bush は “A disgrace to America”(アメリカの恥)とか “warmonger”(戦争屋)とか “Someone who chokes on a pretzel”(プレッツェルを喉に詰まらせた野郎=アメフトの試合をテレビで見ていて)とか揶揄される。

もう一つの意味は、ズバリ “Pubic hair”(陰毛)あるいは性器そのもの。

ハフィントンポスト(11月5日)は “‘Taste The Bush' Ad Is So Suggestive It Was Banned”(「ブッシュを味わう」とのコマーシャルは、あまりに暗示的で禁止された)と報じた。

A sexy slogan prompted a regulatory agency in the U.K. to ban an Australian wine company's ad, as the agency suggested the phrase "you can almost taste the bush" was a reference to something much naughtier than wine.

このスローガンは、オーストラリアのワインの宣伝だが、英国では禁止された。というのは、「あなたは、ほとんどブッシュを味わえる」という言葉は、ワインよりもっといやらしいものを示唆しているからだという。

The video from Premier Estates features a woman touting the company's wine, then placing a half-full glass of wine at a low table in front of her crotch area just before she says the words "Some say you can almost taste the bush.”

ビデオでは、ワインを勧める女性が、半分ワインが入ったグラスを彼女の前のテーブルに置くと、ちょうど彼女の股のところに来る。そして彼女はこう呟く。「あなたは、ほとんどブッシュを味わえる」

She then hesitates for a moment before she awkwardly looks down, picks up the glass and walks away.

彼女は一瞬ためらった後、下を見て、グラスを持って、立ち去る。

A ruling issued yesterday by U.K.'s Advertising Standards Authority concluded most viewers would understand the "taste the bush" phrase to be a "to be a reference to oral sex, particularly given that it was accompanied with the image of the wine glass positioned directly in front of the woman's crotch.”

これは訳さなくても分かるよね。


2015年11月2日月曜日

humbled 「恐縮です」と大統領候補のベン・カーソン氏



「恐縮する」というのは「恐れて身がすくむ」ことだが、一般的に「恐縮しています」「恐縮です」と言えば「ありがとう」の言い換えである。こういう表現が英語にあるのか、というと、学校英語では「ない」と教える。理由は「欧米人は恐縮することはない」などと説明する。そして、和英辞書では「恐縮する」の訳語として “I am sorry to trouble you…”(邪魔してゴメンなさい)などしている。あるいは、意訳して “I am much obliged to a person.”(原義は「大変な負債をつくってしまった」=感謝に堪えない)とする。

だが、これは真っ赤なウソ。欧米人でもちゃんと「恐縮する」ことがある。
米大統領選挙の共和党の候補者である、ジョンズホプキンズ大学の脳神経外科医だったベン・カーソン氏は、10月の1ヶ月間で1000万ドル(約12億円)の献金を集め、11月1日のツイッターで、以下のように語った。

In the month of October, we raised $10 million and today we'll receive our 800,000th donation. I am humbled by your support. Thank you.

(10月に、われわれは1000万ドル募りました。そして、今日80万件目の寄付をいただきました。あなた方の支持を受けて恐縮です。ありがとう)

I am humbled by ~こそ「恐縮している」という表現である。humbleは通常形容詞として使い、not proud or arrogant; modest(誇らない、偉ぶらない、謙虚)という意味。だが、ここでは他動詞(卑下させる、謙虚にさせる)としての古い用法。「アメリカ人は自分が悪いことをしても、決して謝らない。謙虚な人間はいない。だから、そんな表現はない」などと、今でも教える英語教師がいるが、それは偏見である。政治家に「謙譲の美徳」を求めるのは間違いだとしても、表現上はちゃんとあるのです。

カーソン氏はこの人柄で、誰が見ても傲慢不遜なトランプ氏を支持率で圧倒して、今のところ共和党の大統領候補の首位に立った。




2015年10月10日土曜日

「一億総活躍社会」ーEngagement of All Citizens


安倍首相が打ち出した「一億総活躍社会」の構想。文字通りは、一億人の国民すべてが活躍する社会、という意味だが、問題は国の政策として「活躍」が何を指しているのか、である。

官邸の英語版ホームページには、「一億総活躍相」を“Minister in Charge of Promoting Dynamic Engagement of All Citizens”と翻訳していた。ここでも、Dynamic Engagement が何を意味するのか、engagement の動詞形は engage だが、一体何に engage するというのか?

政策としての engagement ですぐに思いつくのは、米国の外交政策の engagement policy。「関与政策」と訳されるが、この engagement は、a synonym for a wider range of more specific practices of contact between an international actor and a foreign public, including public diplomacy, communication and the deployment of international aid.(国際的に活動する主体と外国の大衆との間の接触において、より広い範疇に及ぶ、より特別な行為と同義で、大衆外交、コミュニケーション、国際援助の実施を含む)という。これは、冷戦時の敵対政策に代わるものとなった。

では、Engagement of All Citizens(すべての市民の関与)とすると、関与の対象は何であるのか?安倍首相は経済優先を今後の施政方針の中心に据えて、GDP(国内総生産)600兆円を打ち出したので、この目標に向かって engage(関与する)ということになりそうだ。つまり、GDPを現在の464兆円から600兆円に押し上るため、全国民が総出で働くというのが、「一億総活躍社会」の中身というわけであろう。

これに対して、野党側からは「戦前の国家総動員法のようだ」との批判が聞かれた。国家総動員法は1938年(昭和13年)に、戦争における勝利は国力の全てを軍需へ注ぎ込み、国家が「総力戦体制」をとることが必須であるという認識から生まれた。英語では National Mobilization Law と訳される。実は、この National Mobilization の方が「一億総活躍」にぴったりの翻訳だと感じる。

TPP 発効後、経済戦争に勝ち抜くために、老いも若きも、男も女も、果ては子供まで mobilize(動員する)され engage(関与する)させられる。しかもDynamicに。合言葉は「挙国一致」(National Unity)、「尽忠報国」(Loyalty and Patriotism)、「堅忍持久」(Dogged Patience)、「滅私奉公」(Selfless Devotion) だ!


2015年10月1日木曜日

Free the Nipple ー女性解放運動もここまで来た


free は「自由な」であるが、ここでは動詞で「自由にする」または「開放する」。the nipple は「乳首」。Free the Nipple は「乳首を開放する」というわけで、女性がおっぱいを見せてくれるのだが、男性を誘惑するためではなく、れっきとした the equality movement focused upon the double standards regarding the censorship of female breasts.(女性の乳房への検閲に関する二重基準に焦点を絞った男女平等運動)である。つまり、男はトップレスで歩いても何も言われないのに、女は警察に捕まったり、写真の場合でも検閲にひっかかるのは不平等だ、というわけ。

この運動は、もとは 米女優で活動家のLina Esco が、Free the Nipple(2013)という映画を製作したことで始まった。この運動は、女性がいつでもどこでも胸をはだけよう、というのではなく、アメリカ社会の文化と法律の偽善的なあり方を糾弾するためのものだ、という。

アメリカでは、New York, Hawaii, Maine, Ohio, Texas では、公共の場では男女ともトップレスになることを禁じられているが、ほとんどの州では、公然とまたは暗黙のうちに、女性が乳首を露出することは、act of indecent exposure(猥褻な行為)であり、a criminal offense(犯罪)と見なされるのである。

The Daily Mail Online に、“Naomi Campbell, 45, bares her breasts in daring 'free the nipple shoot'... before Instagram bosses DELETE it over nudity clause”と出ていた。

Naomi Campbell といえば、スーパーモデルとして有名だが、すでに45歳。私生活ではアル中、ヤク中で、最近では暴行事件で逮捕されるなど話題に事欠かない。一方で、活動家としての顔もあり、Instagram に乳房を露わにして「乳首を解放する」大胆な写真をアップロードしたが、Instagram の管理者はヌード条項に従ってそれを削除したのでした。もっとも、削除前の写真はネットに出回っているので、関心のある人は探して下さい。


Read more: http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-3237226/Naomi-Campbell-45-bares-breasts-free-nipple-shoot.html#ixzz3nIlcuQOM 

2015年9月24日木曜日

“Happy Birthday to You” にcopyrightなし




誕生日のたびに歌われる歴史上最も有名な “Happy Birthday” song。この元歌は“Good Morning To All.” この歌に copyright(著作権、版権)を主張してきた Warner/Chappell に対し、米ロサンゼルスの連邦地裁は、版権所有に基づく課金の権利を退ける判決を下した。

ロサンゼルス・タイムス(9月22日付)は “All the 'Happy Birthday' song copyright claims are invalid, federal judge rules”(すべてのハッピー・バースデー・ソングの版権請求は無効、連邦裁判事裁定)と報じた。


The story began in 1893, with a Kentucky schoolteacher and her older sister. Patty Smith Hill and Mildred J. Hill wrote the song for Patty’s kindergarten students, titling it “Good Morning To All.” The original lyrics Patty wrote were: “Good morning to you / Good morning to you / Good morning, dear children / Good morning to all.”(この話は1893年、ケンタッキーの学校教師とその姉から始まった。パティ・スミス・ヒルとミルドレッド・J・ヒルが、パティの幼稚園の生徒のために、“Good Morning To All”という題で歌を書いたのだ。パティが書いた歌詞は、“Good morning to you / Good morning to you / Good morning, dear children / Good morning to all.”

The sisters published the song in a book called “Song Stories for the Kindergarten,” and assigned the copyright to their publisher, Clayton F. Summy Co., in exchange for a cut of the sales.(姉妹は『幼稚園のための歌の話』という本の中で歌を出版し、版権を売上の一部との交換で、Clayton F. Summy Co. に委ねた)

ところが、Warner/Chappell が 1988年に Clayton F. Summy Co. の後継者の Birch Tree Group を買収し、この歌の権利も手に入れたとして訴訟に及んだというわけ。

Warner and the plaintiffs both agreed that the melody of the familiar song, first written as "Good Morning To All," had entered the public domain decades ago. But Warner claimed it still owned the rights to the "Happy Birthday" lyrics.(ワーナーと原告の双方は、最初に "Good Morning To All” として書かれた、なじみ深い歌のメロディーは、すでに何十年もまえに公有に属していると認めている。しかし、ワーナーは『ハッピー・バースデー』の歌詞の権利は所有している、と主張した)

だが、この歌詞を書いたのは、あの姉妹なのか誰なのかは、わからない、という。


これが現代の著作権ビジネスの深層である。

2015年9月17日木曜日

It is what it is. - 流行する「仕方がない」


“It is what it is.”は、簡単に言えば、フランス語の決まり文句の “C'est la vie.”に相当する。「それが人生というもんだ」(That is life.) が原義で、「それが現実だ」(That’s just the way things are, like it or not.)とか「仕方がない」(There is nothing that can be done about it.)とか、大体そんな意味で使われる文句と同じである。

Urban Dictionary にはこう出ている。

A) A phrase that seems to simply state the obvious but actually implies helplessness.(単に明らかな事実を述べてるようで、実際は無力さを意味している)

B) A phrase that seems to simply state the obvious but actually means "it will be what it is," as in "it ain't gonna change, so deal with it or don’t.”(単に明らかな事実を述べているようで、実際には「こうなってしまう」、つまり「何かしてもしなくても、そいつは変えられない」と言っている) 

J: I can't believe the price of gas!(ガソリンの値段、信じられない!)

B: It is what it is.(仕方ないさ)

米国人は一般的に、optimistic(楽天的)で、困難に立ち向かっていくガッツを尊ぶ。「仕方がない」などとは滅多に口にしない。表現そのものは昔からあるが、米国人がこんなあきらめの言葉を口にするようになったのは、21世紀になってから、おそらく2001年の9/11同時多発テロ以降ではないか、と思う。

最近、随所で “It is what it is.”を見聞するようになったのは、American dream を聞かなくなったのと比例するようだ。1%の人間が富の半分を独占し、われわれ99%は貧乏人との認識が高まるにつれて、pesimistic(悲観的)な人が増えたのか、あるいは、もうどうでもいいや、という無気力が支配し始めたのか?
ところで、2007年にバグダッドに駐留した米軍の司令官の一人は、兵士らの間に“It is what it is.”が蔓延しているのに気付いたという。たとえば、“The Iraqi Army unit you’re partnering with can’t show up to an operation on time, but it is what it is.”(パートナーのイラク軍の連中は、作戦行動に間に合うように来やがらねえが、まあ仕方ねえか)など、投げやりな言い方ばかりで、これでは軍隊の規律は保てない、と感じたそうだ。“Why “It Is What It Is” is a Stupid Phrase”(「仕方がない」とはバカ言うんじゃねえ)と怒り心頭に発している。