juggleは、日本でも「ジャグリング(する)」という。和風では「お手玉」。ボールなどを下に落とさないように空中に投げ続ける〝曲芸〟を指す名詞・動詞。そこから、比喩的に、曲芸のように物事をやり繰りすることにも使う。
USA TODAY(2007年6月25日)の“Some firms offer help as more employees juggle work, care for aging parent”(年老いた親の介護と仕事をジャグリングする従業員が増えるなかで、会社が援助)との記事では、サウスダコタ州に住む51歳のシェリー・アンダーソンさんが、87歳になる母親の介護をしながら、コンサルタント業で飛び回る様子を描き、親の介護と仕事の両立は“Herculean task”(ヘラクレス並のエネルギーが要る困難な仕事)という。つまり、両方とも落とすことができないjuggling ballsなのだ。
高齢社会の到来とともに、仕事にだけ打ち込んでいればよかった時代は過ぎ去りつつある。米介護連盟(NAC)などの調査によると、親などの介護をしている男性の60%、女性の41%が今やフルタイムで働いているという。企業の側でも社員の抱える負担を無視できなくなっている。介護サービスの斡旋や緊急時ケアのサポートなどに取り組む企業が出てきた。
一方、離婚の増加によって、“single mom”(シングルマザー)の負担増もクローズ・アップ。ニュージャージー州に本拠を置くスター・レジャー(2007年7月15日付)の“Divorced mom needs to juggle two big goals”(離婚ママが2つの大目標をジャグリング)という記事によると、2人の子供を抱えて離婚したメリンダさん(44)は、現在17歳と14歳になる子供たちを大学に進学させるとともに、自分自身の退職後の生活に備えるため、学費の捻出と老後の蓄えという〝至難の業〟にチャレンジしなければならないという。
いずれも洋の東西を問わない話で、juggleの語がメディアに頻繁に登場する理由もうなずける。
ところで、本物のジャグリングは古代エジプトのころからあったそうで、アトラクションとして人気を博して来た。今では大衆化され、各国に愛好団体も生まれ“the ultimate sport”(究極のスポーツ)として楽しまれている。投げ上げるものは、ボール、リング、帽子から、ナイフ、燃える松明、さらにチェーンソーなどと、見ていてハラハラさせられるものまである。が、〝究極のジャグリング〟はタマゴではないだろうか?
juggle eggsは、コンピュター・プログラマーが頭の中で非常に複雑なプログラムを組み立てるときのように、ちょっと思考が中断されてもおじゃんになるような知的作業に取り組むことをいう。このコラムを書くのもまさにそれで、“Don’t bother me now, I’m juggling eggs.”(邪魔しないでくれ。取り込み中なんだ)The Sankei Shimbun (August 5 2007)「グローバル・English」はこちらへ
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