2011年2月28日月曜日

parenting


 parentは、お父さん・お母さんのことで「親」だが、原義は「子供を産んで育てること」。動詞として使うと、「子供を養育する」という意味になる。そこで、parentingは「子育て」。カタカナ読みは「ペアレンティング」。
 parentingをめぐって、中国式かアメリカ式か、どちらが優れているか、という論議が起こっている。きっかけは、ウォールストリート・ジャーナル(1月8日付)に掲載された“Why Chinese Mothers Are Superior”(なぜ中国人の母親はすぐれているか)という〝挑戦的〟なエッセイ。筆者は中国系アメリカ人で、イェール・ロー・スクールの教授エミー・チャウ氏。新著に“Battle Hymn of the Tiger Mother”(タイガー・マザーの戦い賛歌)があり、その抜粋。自らをtiger motherと称して、2人の娘の子育ての奮闘ぶりを紹介した。
 彼女が示す教育方針で、子どもに許さないのは、“attend a sleepover”(外泊する)“have a play date”(遊びのデート)“watch TV or play computer games”(テレビを見たりコンピューターゲームをする)“get any grade less than an A”(A以下の成績を取る)“play any instrument other than the piano or violin”(ピアノとバイオリン以外の楽器を演奏する)などである。最後の項目は、中国人特有の好みを象徴するものだが、その他の項目は、日本の教育ママの要求とほぼ同じだろう。
 同紙は、これをDemanding Eastern parenting(厳しく要求する東洋式子育て)と呼ぶ。チャウ氏自身、そのような方針で育てられて超一流大学の教授にまでのし上がったのであり、ビシビシやらないと社会で成功できない、と語っている。
 これに対して、米国式の一般的な子育ては、子どもの自主性を尊重するPermissive Western parenting(自由放任の西洋式子育て)。米国人の親の多くが、“Stressing academic success is not good for children.”(学業の成功を強調するのは子供にとってよくない)、そして、“Parents need to foster the idea that learning is fun.”(親は学習が楽しいとの考えを育てる必要がある)と考えている。それだけに、チャウ氏が、自分に逆らう7歳の娘をgarbage(ゴミ)と罵ったり、バイオリンで曲が演奏できるまで、何時間も水一杯飲まさず練習させ、ついに達成するやり方に対して、激しい反論が巻き起こっている。
 タイム(1月31日号)は、“The Truth about Tiger Moms”(タイガー・マザーたちの正体)を特集。その中で、米国経済の不振を中国の隆盛に比べて、“Are we the losers she’s talking about?”(彼女が言うように私たちは負け犬なのか)という反省が起こっていると指摘。オバマ大統領も、今年の一般教書演説で、米国が世界でリーダーシップを取り続け、未来に成功するためには、“We also have to win the race to educate our kids.”(子どもの教育の競争にも勝たねばならない)と強調している。The Sankei Shimbun

2011年2月15日火曜日

locapour


 locaはlocal(その土地の、地元の)の省略形で、ここでは地元産のワインやビールのこと。pourは「注ぐ」。locapourは「地元産のワインやビールをグラスに注ぐ」という意味で、“a person who drinks only locally produced wine or beer”(もっぱら地元産のワインやビールを飲む人)を指す。つまり「地酒ファン」。カタカナ読みは「ロカポア」。
 カナダのグローブ・アンド・メール(1月5日付)は、“What You’ll Be Pouring in Your Glass in 2011”(2011年、あなたのグラスに注ぐもの)との記事で、北米でのlocapourの増加を取り上げた。カリフォルニア州のある食品関連業者は、“Consumers are beginning to forage for things they haven’t yet tried.”(消費者は、これまで試したことのないものを漁り始めている)と話す。forage(フォリッジ)は「飼料」という意味だが、動詞では「捜し回って手に入れる」こと。ねらい目は、あまり人に知られていないlocal wine(地元ワイン)やpremium beer from microbrewery(小規模醸造所で造られる極上ビール)だという。
 ワシントン・ポスト(2010年10月19日付)は、“The State of ‘Locapour’ around Washington” (ワシントン周辺の地酒ファンの州)との記事を掲載。隣接するバージニア州のモーリーン・マクドネル知事夫人による〝地元ワイン〟の地元への売り込みを紹介している。彼女はいう。
 “When I dine at restaurants and see that they don’t have Virginia wines on the list, I introduce myself to the manager and ask, ‘Why not?’”(私がレストランで食事をして、ワインリストにバージニア・ワインがないとき、支配人に自己紹介して、「なぜないのか」とたずねる)。「品質がよくなかったから」という返答が多いが、“Forget what you remember about Virginia wines and taste them anew.”( 昔のバージニア・ワインのことは忘れて、新たに味わってみて)と。品質改善が進んだので、決して捨てたものではないというわけ。
 そして、記事では、“As the ‘eat local’ movement has taken root in restaurant kitchens across the country, a ‘drink local’ movement has blossomed as well.”(地元のものを食べる運動が全国のレストランの厨房に根を下ろしたように、地元のものを飲む運動も同様に花盛りだ)と指摘している。
 ところで、locapourは、locavore(ロカヴォア)の〝姉妹語〟と言える。-voreは「がつがつ食う者」という意味で、locavoreは「地元でとれた食物(農・水産物)を食べる人」。いわゆる〝地産地消〟運動の先駆けを意味する言葉として、今ではすっかり定着したようだ。
 英作家のバーナード・ショウは、“There is no love sincerer than the love of food.”(食物への愛ほど純粋な愛はない)と述べているが、地産地消は、郷土愛を育むことにもつながりそうだ。the Sankei Shimbun


2011年2月8日火曜日

humane slaughter


 humaneは、英和辞書では「慈悲深い」「思いやりのある」などと訳される形容詞。一方、slaughterは「殺戮」「虐殺」で、humane slaughterは文字通りだと「慈悲深い虐殺」。このままでは何のことだか分からない。実は、ここで殺されるのは食肉用の動物。牛や豚をなるべく苦しませずに屠殺することをhumane slaughterという。カタカナ読みは「ヒューメイン・スローター」。
 米国には1958年以来、Humane Slaughter Actという法律がある。それによると、“Animals should be stunned into unconsciousness prior to their slaughter to ensure a quick, relatively painless death.”(動物は、迅速かつ比較的苦しまずに死なせるため、屠殺の前に気絶させるべきである)。つまり、humaneの中身は、殺す前に電気ショックなどでunconsciousness(意識のない状態)にする点である。ところが、この法律は食用の鳥類には適応されておらず、トリがかわいそうだ、という声が絶えなかったそうだ。
 ニューヨーク・タイムズ(2010年10月21日付)は、“New Way to Help Chickens Cross to Other Side”(ニワトリを彼岸に渡す手助けをする新たな方法)と題する記事で、“Two premium chicken producers are preparing to switch to a system of killing their birds that they consider more humane.”(高級チキンの生産企業2社が、より思いやりがあると考えられるトリの殺し方に転換する準備を進めている)として、今年4月から実施すると報じた。その方法とは、こうだ。“The new system uses carbon dioxide gas to gently render the birds unconscious before they are hung by their feet to have their throats slit.”(新システムは、脚を持って逆さにぶら下げて喉をかき切る前に、二酸化炭素ガスを使って優しくトリの意識を失わせる)。トリは、吊るされるときに嫌がって大暴れするので、その苦痛を事前に除去するという。ここでも、humaneの中身はunconsciousnessだ。
 ところで、humaneとよく似た単語にhuman(ヒューマン)がある。いずれも、語源はラテン語のhumanusで、「人間の」という意味。human being(人間)などというように、humanは「人間の」「人間らしい」という形容詞で、よい意味だけでなく悪い意味でも使われる。一方、よい意味である人間的な「優しさ」「親切さ」を強調する場合はhumaneを使う。反対語はinhumanで「非人間的」である。
 さて、新方式で殺された鶏肉が販売されるときには、ラベルにそれと表示されることになるという。その候補には“humanely slaughtered”(慈悲深く殺された)、“humanely processed”(慈悲深く処理された)などの言葉が挙がっている。だが、ガス施設への投資額は大きいだけに値段は高くなるという。そこで質問。従来方式かhumanely slaughtered か、あなたはどちらを選びますか?The Sankei Shimbun

2011年2月2日水曜日

viral


 viralのカタカナ読みは「ヴァイラル」。元になる語はvirus(ウイルス、但し英語の発音は「ヴァイァラス」が近い)で、viralは「ウイルス性の」という意味の形容詞。だが、近ごろは、“Often used to describe the spreading of items on the Internet.”(しばしば、インターネット上で流行するネタを表現するのに使われる)。ウイルスは病原性だから、日本語の「流行った」がドンピシャ。
 たとえば、 “The video went viral.”は、「そのビデオはネット上で流行った」ということ。また、ネットで広がり、人気を集めるビデオをviral video(流行りのビデオ)と呼ぶ。You Tubeをはじめ大規模なビデオ共有サイトの登場で、プロが制作したものだけでなく、素人がデジタルカメラで撮ったビデオ映像が、しばしばブレーク。しかも、内容は一目瞭然なので、映像は一国にとどまらず、国境を越えて流行する。
 ネット上では、“Top 10 viral videos”などとあちこちでランク付けが行われていて、合言葉は、“What went viral this week?”(今週は何が流行ったのか)。そして、アクセスがアクセスを呼び、さらに人気を煽ることになる。まさに、その勢いはviralだ。
 こうしたネットの流行性を、企業が見逃すはずはない。Facebook(フェイスブック)をはじめとしたsocial network(ソーシャル・ネットワーク)などを通じてword-of-mouth(口コミ)で商品が次々宣伝されるならば、こんな安上がりなことはない、というわけで企業が研究しているのがviral marketing(ヴァイラル・マーケティング)。
 そこで、消費者として注意しなければならないのが、「ネットで人気」というキャッチフレーズ。そこには、企業側の「売らんかな」の作為があるかもしれないからだ。いわゆる、astroturfing(アストロターフィング)である。astroturfは「人工芝」を指し、動詞で使えば「本物の芝に見せかける」という意味。つまり、偽の草の根運動のこと。だから、viral thing(流行りもの)はviralだけに、思わぬvirusが隠れているかもしれない、と十分吟味してから買うことをお薦めする。
 ところで、恐ろしいのがviral rumor(ウイルスのように広がるうわさ)。ネット上に流されるうわさは、真偽を確かめるすべもなく野放しにされて、cyber bullying(ネットのいじめ)の原因にもなっている。
 そんな中、ミシガン州のレイク・スペリオル州立大学は、2011年の“List of Words Banished from the Queen’s English for Misuse, Overuse and General Uselessness”(誤用、乱用と一般的に無用のため女王陛下の英語=純正英語から排除すべき単語リスト)のトップにviralを選んだ。その批評の1つが振るっている。“This linguistic disease of a term must be quarantined.”(用語におけるこの言語学上の病気は、隔離されねばならない)The Sankei Shimbun