2010年11月29日月曜日

iPod oblivion


 iPodは、米アップル社が販売する携帯型デジタル音楽プレーヤーだが、ここでは象徴的に使われている。oblivionは「忘れること」「忘却」。iPod oblivionは、「iPodによる忘却」。ニューヨーク・タイムズ(7月12日付)の新語欄は、“the inattentiveness of those engrossed with MP3 players, cell phones and other similar devices”(MP3プレーヤーやケータイなどに夢中になり、不注意になること)と説明している。カタカナ読みは「アイポッド・オブリヴィァン」。
 iPodは今や広く普及し、日常会話では固有名詞の枠を越えて、普通名詞扱いになってきた。すでに、2002年ごろからiPodder(カタカナ読み=アイポダー)という単語も登場。「iPodを使う人」という意味で、白いイヤホンのコードを耳から垂らして音楽を楽しむ若者たちを指すようになった。
 だが、今度は音楽に夢中になるあまり、周囲で起こっていることに気がつかない現象が、divided attention(注意力の分散)として問題になってきた。音楽を聴くだけでなく、ケータイで話しながら、メールをしながら―などの〝ながら族〟の不注意な運転による交通事故が続出するに至って、“Distracted driving is a huge problem in America.”(不注意運転はアメリカで大きな問題である)という状況。distract は「注意をそらす」という動詞で、distracted drivingは、かつては「わき見運転」と訳されたが、今では上記のように「わき見」だけが原因ではないのだ。
 ところで、iPod oblivionが問題になるのは、車の運転だけではない。BBCニュース(7月1日付)は、シドニー発で、“How dangerous is it to walk, talk and listen?”(歩き、話し、聴くことはいかに危険か)とのリポートを報じた。その中で、オーストラリアの警察は“iPod oblivion can be lethal for pedestrians and cyclists, alike.”(〝ながら族〟の不注意は、歩行者や自転車に乗る人にとっても、同様に致命的だ)と指摘する。
 豪ヴィクトリア州では、近年、歩行中の交通事故による死傷者が増加、その多くが歩行者側の〝ながら族〟の不注意によるという。“Some of the worst offenders are pedestrians who not only listen to music with headphones plugged into both ears, but simultaneously punch out text messages or check e-mails as they pound the pavement.”(最悪の違反者の中には、道路を歩きまわるときに、両耳にヘッドホンを付けて音楽を聴きながら、同時にメッセージを打ったりメールをチェックしている歩行者がいる)という。また、iPodを聴きながら、ペダルをこいでいるサイクリストの事故も増えている。警察官はこういう。“You call it ‘iPod oblivion’, I just call it stupidity.”(あなたはそれをアイポッド・オブリヴィァンと呼ぶが、私は単にそれをバカと呼ぶ)。The Sankei Shimbun

2009年5月22日金曜日

American Justice

 Justiceは「正義」である。2006年にイラクのバクダッド近郊の村で、一家4人を惨殺し、強姦と殺人罪で起訴された元米兵、スティーヴン・グリーン被告(24)の裁判が21日、ケンタッキー州バドゥカの連邦地裁陪審で行われ、死刑か否かの評議の末に、被告に終身刑が言い渡された。AP通信によると、犯罪事実は以下の通り。
 In March 2006, after an afternoon of card playing, sex talk and drinking Iraqi whiskey, Pfc. Green and three other soldiers went to the home of 14-year-old Abeer Qassim al-Janabi near Mahmoudiya, about 20 miles south of Baghdad. Green shot and killed the teen's mother, father and sister, then became the third soldier to rape the girl before shooting her in the face. Her body was then set on fire.
 「2006年3月、カードで遊び、猥談をし、ウィスキーを飲んだ後、グリーン被告は仲間の兵士3人と、14歳のアビア・カシム・アルジャナビさんが住んでいた家に押し入った。グリーン被告は、少女の父と母と妹を射殺、その後少女を3番目に強姦した後、彼女の顔面を銃で撃って殺し、死体を火に放った。」
 この判決に対し、Assistant US Attorney Marisa Ford氏は、以下のコメントを出した。
 “This trial represents some of the most important principles of our Constitution and our democracy in action. The decision of how justice would be best served was left to the people.”(この裁判は、われわれの憲法と民主主義の、事実上の最も重要な原則を示すものだ。正義がもっとも正しく執行される決定は、人民に委ねられた)
 軍事法廷は、心神耗弱を理由に連邦裁判を回避しようとしたが、それを阻止したというわけである。だが、決定が委ねられたのはアメリカの人民であって、そこにはイラク人民の意志は反映されてはいない。もし、同様の事案がアメリカ国内で起こり、犯人が仮にイラク人兵士であったならば、陪審員は死刑を回避し終身刑の評決を下したでろうか?

2009年5月21日木曜日

Close Contact

 新型インフルエンザの流行にともない、「濃厚接触」という言葉をよく耳にする。「濃厚接触」の原語は何か?close contactだ。“Flu spreads by close contact.”(インフルエンザは濃厚接触によって拡大する)そこで、“The Health ministry said it analyzed the movements of 57 of those infected and found about 2900 people in close contact with them.”(厚生省は感染者57人の行動を分析して、2900人が濃厚接触であると語った)ということになる。
 ところで、close contactはEpidemiology(疫学)の専門用語。今回のSwine Influenza A (H1N1)の場合、WHOは“approximately 1 meter”(約1メートル)以内のcontact(接触)と定義している。Among people in less close contact, it is spread by the droplets that spray from people’s mouths when they cough or sneeze.

2009年4月29日水曜日

PandemicとEpidemic

 目下、世界の関心事は、the swine flue in Mexico(メキシコの豚インフルエンザ)。The WHO on Monday raised the pandemic swine flue alert level from phase 3 to 4.(世界保健機関は4月27日に警戒レベルを3から4に引き上げた)。つまり、人から人への感染が起こるfull pandemicの状態をいう。Pandemicは「大流行の」(形容詞)「大流行病」(名詞)と訳されるが、語源を調べるとpan-はallで、demicはdemos つまりpeopleで、直訳すれば、「すべての人に」という意味。類語にepidemic(流行病、伝染病)がある。こちらは、epi-がamongまたはuponで、demicは同じだから、「人の間に」流行るというわけ。両者の違いは、流行の規模による。pandemicはwidespread epidemicといえる。
 PS:筆者も先々週から体調を崩して、blogを休みましたが、豚インフルではありません。

2009年4月16日木曜日

Acute

 acuteは英和辞書では「急性」とか「緊急」との訳が付けられている。acute pain(急性の痛み)、acute heart failure(急性心不全)、という一方で、acute care(緊急介護)などと使う。
 オックスフォード英語辞書(OED)によると、語源はラテン語のacutus。元は針を意味し、そこからsharp(鋭い)ことをいう。17世紀には、医学関係でfever(発熱)やdisease(疾病)が急性の場合の形容に使われるようになり、今でもその慣習が生きている。その後、他の分野でも使われるようになった。例えばこれから夏場にかけて、acute water shortage(緊急の水不足)やacute power crisis(緊急の電力危機)が心配されるなど環境問題の深刻さを表す場合にもよく出てくる。
 面白いのは、cute(可愛い)という形容詞はacuteのaが脱落したもので、19世紀になって米国の学生の俗語として使われるようになった。“Acting dumb is not cute.”(おバカは可愛くない)などと使う。が、元の語にある「鋭い」とか、転じてshrewd(狡猾な)という意味がなくなったわけではなく、mob(やくざ)が警察に逮捕された場合、“I want some cute lawyer.”(腕利きの弁護士を呼べ)などと使う。
 

2009年4月10日金曜日

Hang in there


 Reassuranceは「大丈夫だという保証」そして「安心」(4月6日付け産経新聞朝刊文化面に掲載)。その最後に、“Things look really bad, but hang in there! Everything is going to be OK.”(ものごとは本当に悪く見えるが、しかし、がんばれ!すべてうまくいくさ)と書いた。ここで、言いたいのはhang in there。カタカナ読みは、「ハンギンゼア」。
 hangは「掛かる」「ぶら下がる」という動詞だが、onの前置詞が付いてhung onになると、「しがみつく」とか「辛抱してやりぬく」。hang in thereは、口語表現で、「困難に負けず、やりぬく」という意味になる。
 昨秋以降、世界は経済危機に突入した。ある実業家は“We started with the nuclear holocaust, now we’re going through the nuclear winter.”(核爆発が起こり、今やわれわれは核の冬に遭遇している)と語った。だが、切り抜ける手段はたった一つしかない。ウィンストン・チャーチルの言葉。“If you’re going through hell, keep going.”(地獄を通っているとしたら、歩み続けよう)。このスピリットがhang in thereである。

2009年3月24日火曜日

Land of opportunity Time of crisis can be opportunity!

Illustrated by Kazuhiro Kawakita

 opportunityは「チャンス」。アメリカの別称はland of opportunity(チャンスの国)だ。アメリカは“a nation of immigrants”(移民の国)で、16世紀から始まった欧州諸国からの移民は、王政・貴族制度でがんじがらめになった階級社会を嫌い、新大陸に成功の機会を求めたのである。
 リンカーン大統領は1860年代に、land of opportunityについて、誰もが金持ちになる平等な機会を与えられる社会が自由社会である、と述べている。それがAmerican dream(アメリカン・ドリーム)を支えてきたといえる。
 では、現代のアメリカはどうか?ニューヨーク・タイムズ(2007年7月13日付)の社説は“The Land of Opportunity?”と〝疑問符〟を付けた。OECD(経済開発協力機構)が先進諸国の所得分配傾向を調査した結果、「アメリカでは、父親の所得が一番底の5分の1の層に属する場合、その子もそこで終わる確率は40%以上である」と報告しており、貧乏人は今や貧乏から這い上がることができないと指摘する。“The problem is that the have-not don’t have many opportunities either.”(持たざるものは、機会も多くないことが問題である)という。“window of opportunity”(機会の窓)は、閉じられつつあるのか?
 オバマ大統領は2009 年3月7日のラジオ演説で“Time of crisis can be great opportunity.”(危機は大きなチャンスとなり得る=AP通信の見出し)と語った。オバマ氏は、深刻な経済危機の中で四半世紀ぶりに失業率が8%を超え、数百万人が住む家を失って、その日の生活にも困窮しているという厳しい現実を語った上で、こう言って国民を鼓舞した。“With every test, each generation has found the capacity to discover great opportunity in the midst of great crisis. That is what we can and must do today.”(様々な試練に際し、どの世代もこれまで、大きな危機の最中に大きなチャンスを発見する力を見出してきた。それはわれわれにも可能であり、今日やらねばならないことだ)
では、どこにチャンスを発見すればよいのか。残案ながら、演説はそこで終わり。
 だが、歴史を振り返ると、ヒントがある。ケネディ大統領は1959年4月、冷戦の危機について演説した中で、こう述べた。“When written in Chinese, the word ‘crisis’ is composed of two characters-one represents danger and the other represents opportunity.”(中国語で「危機」という言葉を書くと、1つは「危」であるが、もう一方は「機」である)。1957年にソ連の人工衛星スプートニク1号の打ち上げが成功して、米国がショックを受けた後だが、彼はこのとき“The space age offers the opportunity for new voyages of discovery.”(宇宙時代は新たな発見への旅の機会を与えてくれる)と語った。その言葉通り、以後の宇宙開発競争が、アポロ計画と人類初の月面着陸成功につながっていく。
 偉大な物理学者アルベルト・アインシュタインは、“In the middle of every difficulty lies opportunity.”(どんな困難の中にもチャンスがある)と述べている。チャンスを見出せるか否かは、各人に掛かっている。危機に遭遇してすぐに投げ出してしまう人もいれば、「なにくそ!」と歯を食いしばってがんばる人もいる。そういう意味では、“The economic crisis is a test of character.”(経済危機は、人の〝本性〟が試される機会である)と言えるだろう。The Sankei Shimbun (March 23 2009)