2012年8月26日日曜日

bullshit

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 bullshitは、アメリカ生まれの俗語。最も近い日本語は「でたらめ」、あるいは「与太話」。カタカナ読みは「ブルシット」。名詞だけでなく動詞としても使う。間投詞としては、fuckと並んで、日常会話で頻繁に耳にする罵り言葉。日本語でいう「ウッソー!」に当たる。「でたらめを言う人」はbullshitter。
 オックスフォード英語辞書(OED)によると、初出は1915年。古いフランス語のboul(欺瞞)が語源で、16世紀ごろからbullと表記されるようになり「たわごと」の意味で使われてきた。
だが、多くのアメリカ人は、bullを「牡牛」、shitは「糞」だと思い込んでおり、“Bullshit!”と間投詞として使うときには、「牛の糞」を連想するようだ。面白いのは、言葉は誤解に基づいて使われても、みんながそう信じればそれなりに通用するようになる。そこからhorseshit(馬の糞)、chikenshit(鶏の糞)などの派生語も生まれた。
 英和辞書のなかにはbullshitに、名詞として「うそ」とか、動詞として「だます」とかいう訳を当てているが、厳密には正しくない。
 プリンストン大学哲学科のハリー・フランクファート教授は、2005年に“On Bullshit”(ブルシットについて)という著書を出版。その中で「うそをつくためには、真実を知っているという認識がなくては不可能だが、bullshit にはそうした確信は必要ない」と述べている。つまり、bullshitterにとって、自分の言っていることが真実であろうがなかろうが関係ない。「目的を達するためには、うそも本当もごちゃまぜにしてしゃべりまくる」というニュアンスなのだ。
 与太話をするのにもノウハウがある。オンライン・サイトの“How to Bullshit”によると、「当意即妙に話す」。じっくり考えていては、相手は〝企み〟を察知して信じなくなるからだ。それから、自分がすでに持っている知識を総動員して、「言っていることはすべて真実であると信じさせ、それから自分の知らないことをあたかも知っているかのように話す」のがコツだそうだ。
 そこで、非常に巧妙でもっともらしい与太話をする人をbullshit artistという。作家のロン・シャロー氏は著書“Bullshit Artist : The 9/11 Leadership Myth”(2006年)で、ブッシュ大統領こそがbullshit artistだと指摘する。すなわち、2001年の9.11中枢同時テロ事件の当日、大統領はテロとの戦いのため、ありとあらゆる対策を講じたと信じられているが、実際に動いたのはチェイニー副大統領とホワイトハウスの高官たち。「大統領個人が何をしたかを逐一検証していくと、実はほとんど何もしなかった」と述べている。
 だが、政治家は、往々にしてそうした人物が成功するようだ。人の失敗は人の失敗ときっぱりとはねつけ、人の手柄は自分の手柄と断固主張する。誰にでもできることじゃない。The Sankei Shimbun(December 24 2006)

2012年8月25日土曜日

geek

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 geekは、カタカナ読みで「ギーク」。英和辞書では「奇人」「変人」などの訳語が当てられている。だが、現代のアメリカ人がこの言葉からすぐに思い浮かべるのは、computer geekだろう。この場合のgeekは単なる変人ではない。変人に見えるほど熱心に1つのことに打ち込む専門家。日本語の「おたく」と解釈して、「コンピューターおたく」である。
 geekの語源は16世紀のドイツ語のgeck(バカ者)まで遡り、シェークスピアの「十二夜」にもgeckの語が出てくる。アメリカン・ヘリテージ辞書によると、geekがアメリカ英語に最初に登場するのは、サーカスの用語として。米国では19世紀以来、旅回りのサーカスの伝統がある。町にサーカスがやってくると、big topと呼ばれるテントが建てられて催しが始まるが、見世物の中に、生きた鶏の頭を食いちぎったり、剣を飲み込んだり、蛇を手なずけるなど、グロテスクな技を披露する芸人がいる。彼らがcircus geekと呼ばれたのだ。
 そこから転じて、geekは特定の分野に一途な興味を示す人を指すようになった。コンピューターに限らず、music(音楽)geek、movie(映画)geek、manga(漫画)geek、Star Wars(スターウォーズ)geekなど、何にでも使われるところは「おたく」と同じ。侮蔑的なニュアンスをともなって使われるところも似ている。
 だが、geekが単なる「おたく」と違うのは、IT分野において専門的な技術や知識を生かして社会的地位を確立した人たちがいることだ。かつてはhacker(ハッカー)と呼ばれ、主流から外れていると見られたが、彼らが開拓した新しい技術が現代IT産業の主流となっている。たとえば、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏は、「ハッカーの親玉」などと陰口を叩かれ、メディアはgeekと書き立てたが、今日では世界一の大富豪になり、慈善事業家としても有名。geekがgeek自体の価値を高めたとも言え、最近ではある種の尊敬の念をともなって使われる場合が増えた。
 さて、computer geekに関し、最近流行しているのが“Geek Squad”。squadはpolice squad(警察部隊)でおなじみで、いわば「コンピューターおたく部隊」。米国の大手家電量販店「ベスト・バイ」が運営するコンピューター・サポートチームのことで、家庭や事務所でコンピューター関連のトラブルが発生したときに電話すると、いつでも修理に駆けつけてくれる。黒と白のパトロールカーに乗り、白の半袖シャツに黒のネクタイとズボンといった独特のユニホーム姿で登場するのが、なかなか小粋で人気の秘密でもあるようだ。
 もとは「バカ」を意味したgeekは、「変人」「貴人」の域を脱し、ついに「おたく」の専門家として社会をリード、大金持ちまで出現する―というまさにアメリカン・ドリームを地で行った単語と言えよう。The Sankei Shimbun(January 14 2007)

2012年8月22日水曜日

gay wedding

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 gayは、厳密にはmale homosexual(男性の同性愛者)だが、同性愛者の総称でもある。weddingは「結婚式」。gay weddingは「同性愛者の結婚式」。カタカナ読みは「ゲイ・ウェディング」。
 米国では“Despite Laws, Gay Wedding Industry Booms”(法制度に関わらず、同性愛者のための結婚産業がブーム=2006年12月25日付AP通信)という。gay weddingも、カップルが指輪を交換したり、ウェディング・ケーキを切ったり、お祝いに来た人々に引き出物を配ったり、と男女の結婚式と内容は変わらない。カップルが同性愛者であるのが違いで、そのマーケットの規模は「10億ドルに達すると推定される」。
 gay weddingの前提となるのがgay marriage(同性愛者の結婚)。これはsame-sex marriage(同性婚)とも呼ばれ、20世紀後半から今日に至るまで、法的な処遇をめぐり世界的に議論が盛んだ。現在、ベルギー、カナダ、オランダ、南アフリカ、スペインの各国で、同性婚は法的に異性間の結婚と同等の権利が認められている。米国では2003年にマサチューセッツ州で認められ、それを受けて2004年5月17日から2006年11月9日まで8764組の同性婚カップルが誕生したという。2006年11月の中間選挙において、アリゾナ州では同性婚を禁止する州憲法改正案が米国で初めて住民投票で否決された。また、ニュージャージー、カリフォルニアなどの州では、法的な婚姻関係には至らないが、civil union(市民的結び付き)といった同性カップルの権利を認めている。
 一方、同性婚に反対する人も多く、その動きも活発化。中間選挙では、バージニアなど7州が“Marriage is a civil right that should be only allowed to opposite-sex couples.”(結婚は異性のカップルに限られた市民的権利)として同性婚を認めず、それまでと合わせて27州が禁止。同性婚に対する賛否は、世論を2分しているようだ。
同性婚が政治課題になった背景には、同性愛者のcoming out of the closet(「クローゼットから出る」が転じて、「同性愛者であることを公表する」)が進み、人権運動にまで発展したことが大きい。支持者たちは、「結婚は異性のカップルだけに限定されない人権である」と主張し、同性婚を“equal marriage”(同等結婚)と表現。また、男女が同等の権利を有する社会で、結婚という個人的な愛の選択について政府が規制する必要があるのか、と疑問を投げかける。
 この運動が、男女間の生殖の営みを結婚の中心と考えるキリスト教や保守派の伝統的価値観と真っ向から対立。キリスト教や保守派の反対者らは、「同性婚は聖書の教えに反するものだ」と批判し、同性愛を「異常な愛」、「間違った愛」と非難する。
gay marriageが人権運動として今後日本に波及するのか、あるいはgay weddingがトレンドとして先行するのか、注目されるところだ。The Sankei Shimbun (january 21 2007)

2012年8月20日月曜日

dope 語源を知れば納得…

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 dopeは、スポーツや競馬の世界で問題になっている成績を上げるためのドーピング(doping=禁止薬物使用)のdope。カタカナ読みは「ドゥプ」。語源は「濃くしたたるようなソース(sauce)」を意味するオランダ語のdoopで、そこから派生して実に多様な意味を持つに至った。典型的なアメリカ英語で、名詞・動詞として用いる。
 アメリカン・ヘリテージ辞書によると、19世紀にはgravy(肉汁、グレービーソース)の意味で使われた。五大湖地方のオハイオ州辺りでは、アイスクリームにかけるチョコレートソースやシロップを指す。ところが、米南部では飲み物のコーラのことで、Coca-Colaの商品名から、dope はcocaine(コカイン)を連想させるようになった。
 オックスフォード英語辞書(OED)では、dopeは1889年から黒く粘ったアヘンを意味し、麻薬・薬物の総称になったという。dopingはこれに由来するが、使用される禁止薬物は覚醒剤、コカインなどの麻薬類に止まらず、anabolic steroidなどの筋肉増強剤、さらに赤血球を増やして酸素摂取量を上げるEPOと呼ばれる血液ドーピングなどにも及ぶ。ドーピングが見つかれば、スポーツ選手は選手生命を失うが、見つからなければ〝やり得〟で、検査をめぐってイタチごっこが繰り返される。最近では遺伝子治療の技術を使った、検出不可能な新手のドーピングも予想される。スポーツが本来の意味を離れてビッグ・ビジネスになり、大金が絡むようになったための弊害だ。
 dopeには、inside information(内部情報)の意味がある。1901年に、競馬に出走する馬が薬物を使っているかどうか、事前情報を得ることから使われ始め、転じて「勝ち馬の予想」になった。2006年10月、フランスの凱旋門賞レースで日本中央競馬会のディープインパクトが失格になったが、すでに100年以上も前から競馬のdopingは常態化していたのである。ちなみに「情報」の意味のdopeでは、Chicago Readerという新聞に“The Straight Dope“という著名コラムがあり、セシル・アダムスという天才が、読者のどんな問いにも答えてくれるというので人気を博している。
 このほか、航空工学の用語として、飛行機の翼に塗る強化用コーティング剤という意味や、電子工学では、半導体製造時に混ぜ物をする、といった使い方もある。いずれもドロッとした粘液的な感じを受けるのが面白い。
 
 さて、d黒人の英語では、dopeは形容詞として用いることがある。これは、比較的新しい用法で、Rap Musicで使われる。その意味は、excellent, wonderful, superb, very enjoyableなどで、coolと同義と考え られる。
 Historical Dictionary of American Slang, Random Houseによると、この単語の文献上の初出は1981年で、J.Spencer, in Stanley Rap 301に、Yo, man, them boys is dope...This record is dope. とある。これは、明らかに音楽を指していったもので、This music is dope!という表現はclicheになったようだ。日本語に訳せば、「この音はいけてるネ!」
 ただ、言葉は常に変化していく。dopeはすぐに他の物の形容にも使われるようになった。
 1989年のHarper'sの3月号には、That studded bra is kinda dope-I could go for that.と出ており、音楽以外のものにも使われるようになった。
 
 最後に、dopeにはstupid person(バカ者)の意味があり、起源は19世紀に遡る。イラクで処刑されたサダム・フセイン元大統領の絞首刑人形が米国で発売され、首にロープが巻きつけてあり、“Dope On A Rope“と書かれたTシャツを着せられていた。一方、ブッシュ大統領の頭部をかたどったヒモ付き石けんも同じ名前で販売され、“The more you use it, the smaller it is.”(使えば使うほど小さくなる)と書いてあった。The Sankei Shimbun(February 4 2007)「グローバル・English」はこちらへ

2012年8月15日水曜日

gay troop

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 gayは「同性愛者」で、troopは「軍隊」。gay troopは、直訳すれば「同性愛者の軍隊」。だが、同性愛の兵士ばかりを集めた軍隊、と早合点してはいけない。「同性愛が〝公認〟された軍隊」のことである。カタカナ読みは「ゲイ・トゥループ」。
 米国の連邦議会では、米軍兵士の同性愛をオープンに認めるかどうかをめぐる議論が永らく続いて来た。同性愛に対する米軍の現在の方針は、“Don’t ask, don’t tell.”(訊ねず、語らず)。これは、1993年にクリントン政権下で法制化されたもの。新兵募集の際に、当局は個人のsexual orientation(性的志向)について訊ねることなく、入隊後も調査をしない。一方で、兵士の側も同性愛を公言しないこと、そうした行為をしないことに同意させられる。違反すれば除隊である。
 この方針について、同性愛の人権団体は「性差別」だと批判してきたが、米軍のイラク駐留問題が長期化し、兵士の死傷者が増え続けるなかで再び問題として浮上。2007年2月末に、民主党議員から「性差別の撤廃」を求める法案が提出された。民主党のカーター元大統領は、5月15日に法案を支持する声明を出し、「現在、推定6万5000人の同性愛の男女が祖国のために奉仕している」としたうえで、“Don’t ask, don’t tell.”が施行されて以来、「1万1000人が除隊させられた」と、国防総省を批判した。
 そして、オバマ政権となってから、President Obama, Secretary of Defense Leon Panetta, and Admiral Mike Mullen, Chairman of the Joint Chiefs of Staff, sent the certification required by the Repeal Act to Congress on July 22, 2011, setting the end of DADT for September 20, 2011.(オバマ大統領とレオン・パネッタ国防長官、マイク・マラン統合参謀本部議長は、2011年7月22日の議会での廃止法の成立に基づいて同年9月20日をもって“Don’t ask, don’t tell.”を終了した。その結果、性差別が撤廃され、米軍の中で同性愛者のcoming out(公けの告白)が急増することになった。
 一方、ピーター・ペース統合参謀本部議長は、廃止法案が提出された当時、“I believe homosexual acts between two individuals are immoral.”(私は同性愛行為が不道徳だと思う)と述べ、人権団体から「同性愛者を侮辱する発言だ」と〝袋叩き〟に遭った。また、共和党大統領候補のマケイン上院議員ら保守派は、“Gay troops pose an intolerable risk to national security.”(同性愛公認の軍隊は安全保障にとって容認できないリスクだ)と反対した。共和党は、2012年の米大統領選挙に向けて“Don’t ask, don’t tell.”を復活を公約に掲げて闘うことになりそうだ。
 米軍では18世紀の独立戦争以来、sodomy(男色)を禁じてきた。1940年代から80年代まで、入隊時に同性愛者を除くように調査・審問したのである。それだけに、ベトナム戦争のときには、同性愛を偽って徴兵を逃れた者もいた。その後、ウーマンリブが活発化して女性兵士が増加し、米軍にも「性の革命」が浸透する。だが、その後も「同性愛は軍務と相容れない」とする考えは根強く残り、“Don’t ask, don’t tell.”は、軍の規律と兵士の人権との妥協の産物として生まれた。
 米軍の現役兵は約142万人だが、そのうち6万5000人の同性愛者は決して小さな数字ではない。民主、共和党を問わず、「祖国のための軍務で問題にすべきは能力や奉仕精神であって、性的志向ではない」とする声もある。The Sankei shimbun(June 10 2007)「グローバル・English」はこちらへ

2012年8月13日月曜日

gringo


Illustrated by Kazuhiro Kawakita

 gringoはスペイン語で「よそ者」を意味する。中南米諸国では、白人、とくにアメリカ人の蔑称だ。カタカナ読みは「グリンゴ」。
  この言葉が、久しぶりに米国の主要メディアで取り上げられた。ベネズエラのチャべス大統領が2007年1月21日、国民向けのラジオ・テレビ演説で、“Go to hell, gringos! Go home!”(消えうせろ、よそ者は帰れ)と罵声を上げたからだ。大統領は、ライス米国務長官を“missy”(お嬢さん)と茶化したうえ、ブッシュ政権の役人たちをgringosと呼んだが、それには米国の石油資本も含まれる。8日前の国会演説で石油開発をめぐり、「われわれは収奪されてきた。儲けたのは外国企業ばかりだ」と述べ、国内の全エネルギー産業の国有化を宣言したのだ。その後、国営ベネズエラ石油(PDVSA)が、オリノコ油田の事業を掌握、米国の石油資本は撤退を余儀なくされた。
 チャべス大統領の反米姿勢は社会主義の信条に基づくものだが、2002年4月に軍のクーデターで一時政権を追われたことが大きい。大統領は、自分を引きずり下ろすためにCIA(米中央情報局)と米軍が仕組んだものだと主張し続けており、その積年の恨みから、2006年9月の国連総会でブッシュ大統領をdevil(悪魔)と罵り、今回の「帰れ、よそ者」になった、と言える。
 さて、gringoの語源は諸説紛々としている。最も信頼できるのは、アメリカン・ヘリテージ辞書の「ギリシャ人を表わすgraecusというラテン語が、スペイン語のgriegoになった」というもの。“It’s Greek to me.”(私にとってはギリシャ語だ)という表現は、スペイン語・英語ともに「意味不明の言葉」という意味合いで、それから転じて「よそ者」になったという。
 だが、メキシコでは別の起源説がある。米国とメキシコが、米国内のメキシコ領をめぐって争った米墨戦争(1846~48)のおり、米兵が行進しながら“Green Grow the Rushes, Oh!”と歌っていたのが伝えられ、訛ったという。この説は、ジャーナリストで言語学者のボイエ・デ・メント氏も著書“NTC’s Dictionary of Mexican Cultural Code Words”(1996年)の中で取り上げている。
 米墨戦争は今もメキシコで「北米の干渉戦争」と呼ばれる。メキシコはかつて、現カリフォルニア州など米南西部一帯を領有していたが、この戦争に敗れて、これらの土地を失い、メキシコ人は締め出されてしまった。彼らはスペイン語を話すため、米国に移住すればHispanic(ヒスパニック=スペイン語を話す者)として民族的に色分けされた。
gringoは、語源がどうであれ、中南米の人々にとって北米の〝白人〟との根深い対立感情を表わす言葉として、今も生きている。ヒスパニック系米国人も、白人を罵るときに口にする差別用語である。The Sankei Shimbun(February 11 2007)

2012年8月8日水曜日

spanking Don't spare your whip!

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 spankingはspankの動名詞で「叩く」、とくに「罰として手などで尻を叩く」こと。語源は18世紀に遡り、パンと叩く音から「スパンク」というようになったという説がある。カタカナ読みは「スパンキング」。この言葉は、欧米ではcorporal punishment、またはphysical punishment(体罰)の総称として使われる。
 2007年2月初めにカリフォルニア州議会で、女性議員のサリー・リーバーさんが、4歳未満の幼児に対する体罰を禁止する法案を提出したので、spankingは一躍脚光を浴びることになった。法案は、家庭で子供の尻を叩くなど体罰を加えると、1年以下の懲役と1000㌦の罰金、また親の教育クラスへの出席が求められるという。
 背景にあるのは、child abuse(児童虐待)の横行。discipline(しつけ)と称して、子供に過激な体罰を加えたり暴力を振るったりする行為は、米国でも後を絶たず、大きな社会問題となっており、誰しも歯止めを掛ける必要がある、と考えている。
 ところが、spankingは伝統的な子供のしつけ方法として、今でも20州以上の学校で容認されている。親が家庭で言うことを聞かない子供の尻を叩くことは、今でも日常的に行われている。それだけに、USA TODAY(2007年1月25日付)は“To Spank or Not to Spank”(叩くべきか、叩かざるべきか)という社説を掲載、この体罰禁止法案に疑問を投げかけ、子供に対する「虐待的暴力は容認できないが、家庭のしつけにまで政府が口を出して親を犯罪者扱いするのも、また容認できることではない」と述べた。
 米国の学校では、かつてはpaddleと呼ばれる〝へら〟でやんちゃ坊主の尻を叩いてお仕置きをしたが、今では、そんな古風なことをしているところは少ない。実際にはtime-out(もとは「小休止」「中断」という意味)という方法が一般的で、規則を破った子供は別の部屋に連れて行かれて、他の生徒から一時的に隔離され、反省をさせられる。別の部屋に移すのに抵抗する場合には、spankingもやむを得ないという。
 多くの先進国では法律上、学校での体罰を禁止しており、北欧諸国などでは家庭での体罰も禁止する国が増えている。
 子供のしつけに体罰が必要だという人が常に引き合いに出すのが、“Spare the rod and spoil the child.”(鞭を惜しむと子供をダメにする)ということわざである。これは旧約聖書のソロモン王のProverbs(箴言)に由来するが、元の言葉は“He that spareth his rod hateth his son: but he that loveth him chasteneth him betimes.”(King James Version 13:24)で、「鞭を加えざる者はその子を憎むなり。子を愛する者はしきりにこれを戒む」。子供のしつけは愛情によって行うべきであって、腹が立つから子供を殴るというのは、もってのほかである。The Sankei Shimbun(February 25 2007)  「グローバル・English」はこちらへ

2012年8月6日月曜日

Remember Hiroshima! よりよい日米関係を築くために・・・



Today, August 6th, marks 67 years since the atomic bombing of Hiroshima, Japan by the United States at the end of World War II. Hiroshima was home to approximately 250,000 people at the time. The U.S. B-29 Superfortress bomber "Enola Gay" took off from Tinian Island very early on the morning of August 6th, carrying a single 8,900 lb uranium bomb codenamed "Little Boy". At 8:15 am, Little Boy was dropped from 31,000 ft above the city, freefalling for 57 seconds. At the moment of detonation, a small explosive initiated a super-critical mass in 141 lbs of uranium. Of that 141 lbs, only 1.5 lbs underwent fission, and of that mass, only 600 milligrams was converted into energy - an explosive energy that seared everything within a few miles, flattened the city below with a massive shockwave, set off a raging firestorm and bathed every living thing in deadly radiation. Nearly 70,000 people are believed to have been killed immediately, with possibly another 70,000 survivors dying of injuries and radiation exposure by 1950.


 太平洋戦争において、米軍は日本に対してindiscriminate bombing(無差別爆撃)を行った。その背景には、racial discrimination(人種差別)が存在した。J・W・ダワー著“War Without Mercy” (1986年、邦題「容赦なき戦争」)は、とくに1941年12月7日の真珠湾攻撃が米国人に大きな衝撃を与え、復讐心が人種差別感情の火に油を注いだ事実を検証している。いわゆる“Remember Pearl Harbor!”(真珠湾を忘れるな)は、当時作られた歌の文句で、報復への誓いである。南太平洋方面軍司令官となったウイリアム・ハルゼー海軍大将(1882~1959)は、日本人を“yellow bastards”(黄色いやつ)とののしり、こう言い放った。“Kill Japs, Kill Japs, Kill More Japs!”(殺せ、殺せ、ジャップをもっと殺せ)。
 米軍による日本本土の空襲(air raid)は、当初は軍需工場などmilitary target(軍事目標)に対するpinpoint bombing(精密爆撃)だった。だが、カーチス・ルメイ少将が指揮を取るや、昭和20年3月10日の東京大空襲を皮切りにindiscriminate bombing(無差別爆撃)が始まった。この戦略転換の理由のひとつが、日本の気象条件。昼間、対空砲火を避けての空襲は高度1万㍍の上空飛行が必要だが、日本の上空は風が強く、爆弾の命中率が10%以下だった。このため、夜間の低空飛行(高度約2100㍍)による“carpet bombing using incendiary bombs”(焼夷弾を使った絨毯爆撃)に変更された、という。
 8月6日に広島、9日に長崎に相次いで原爆(atomic bomb)が投下された。B級戦犯として裁かれた岡田資中将は、バーネット主任検察官から、“Do you consider the bombings of Hiroshima and Nagasaki to be indiscriminate bombing?”(広島と長崎への爆撃を無差別爆撃と考えるか?)と質問され、「もっと悪いと思います」とはっきりと答えた。
 ちなみに、無差別爆撃を立案、指揮したルメイ少将に対し、日本政府は昭和39年に「航空自衛隊の育成に貢献した」との理由で勲一等旭日大綬章を授与している。

skid row

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 skid rowは、英和辞書では「ドヤ街」とか「スラム街」との訳語がつけられている。カタカナ読みは「スキッド・ロウ」。
この言葉が注目されるのは、米国でも格差社会の象徴ともいうべきhomeless(ホームレス)が大きな社会問題になっている背景がある。ロサンゼルスの下町にもSkid Rowという地区があり、高層ビルディングがそそり立つビジネス街のすぐ裏手の歩道にはダンボールの〝家〟やテントがずらりと並び、社会救済事業の事務所も置かれている。
2007年2月初め、ここにライトバンが来て、両脚が麻痺した男性を放置して立ち去った。soiled gown(汚れたガウン)にbroken colostomy bag(壊れた人工肛門バッグ)以外何一つ身に付けず、路上を這っているのを発見された。AP通信など米メディアは“homeless dumping”(ホームレス遺棄)事件として報じた。ロサンゼルス・タイムズは、ライトバンはキリスト教系病院のものだったと指摘したが、金もなく、医療保険にも入れないホームレスは、どれほど重病であっても民間病院から相手にされないのが実情で、こうした遺棄事件は、ロス以外のskid rowでも起っている。
 さて、アメリカン・ヘリテージ辞書によると、skidは名詞で「厚板」や「丸太」、とくに重い物を動かすための「ころ」を指す。動詞では「横滑りする」という意味。rowは「列」とか「並び」のほか「通り」を意味するので、skid rowは「丸太通り」となる。カナダや米国北部で盛んな林業に由来する言葉で、1900年ごろには、山から材木を切り出す人夫がたむろするskid roadとなり、大恐慌を経た1930年ごろに今の「ドヤ街」に転じた。
 では、なぜ「丸太通り」が「ドヤ街」になったのか?ジャーナリストで郷土史家のマレー・モーガンが、1951年に出版した“Skid Road, An Informal Portrait of Seattle”( スキッド・ロード、シアトルの素顔)によると、ワシントン州シアトルは材木の集積地で、Skid Roadと呼ばれる通りがある。かつて、夏場には伐採人夫たちで賑わい、酒場や売春宿が繁盛したが、冬場は仕事を失った彼らが物乞いをして歩いたという。その日暮らしの貧しい季節労働者にあふれた通りは、現在のホームレスが集まるskid rowに転換。全米の大都市に出現することになった。
 1980年代にホームレスから億万長者の株式仲買人に成り上がったクリス・ガードナーを俳優のウィル・スミスが演じた映画“The Pursuit of Happyness”(2006年、Happinessでないところがミソ、邦題「幸せのちから」)では、クリスが1人息子を連れてサンフランシスコのskid row のshelter(救済施設)に宿泊する場面が出てくる。努力すればホームレスでも大金持ちになれるというアメリカン・ドリームを謳う物語であるが、現実のskid rowで暮らす大多数のホームレスには、夢のまた夢である。The Sankei Shimbun(March 11 2007)「グローバル・English」はこちらへ

2012年8月3日金曜日

scanner

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 scannerはカタカナ読みでも「スキャナー」。絵や写真などの画像をパソコンに取り込むときに使う機器で、おなじみ。動詞はscanだが、日本語でも最近は「スキャンする」などという。
 米国では2007年春にアリゾナ州フェニックスの国際空港に設置された新型x-ray(X線) scannerが議論になっている。“backscatter”(後方散乱)という技術を使って、乗客の衣服の下に隠し持っている爆発物や武器を「見通す」という。このスキャナーを通ると、丸裸を人に見られるvirtual strip search(イメージ上のストリップ検査)であると、人権団体から批判の声が上がった。
 だが、テロリストの方も武器の携帯が巧妙になっているため、「対抗措置だ」と米運輸保安局(TSA)は〝新兵器〟の設置に理解を求めた。スキャンした画像は、その場でチェックするだけで、保存や転送はしないとしている。とりあえず、この新スキャナーを通るかどうかは乗客の判断に委ねられるから、嫌ならpat-down search(ボディチェック)も選択できるという。
 問題は、このscanによって、どこまで見られることになるのか、ということ。実は、scanには「ざっと見る」と「じろじろ見る」の2つの相反する意味がある。アメリカン・ヘリテージ辞書によると、元はexamine closely(じっくり調べる)だった。語源はラテン語のscandere(climb=登る)で、詩の韻律を調べる(scan a verse of poetry)ときに、リズムのアップダウンに合わせて足踏みをしたことに由来するという。「詩の綿密な分析」から転じて、look at ~ searchingly(じろじろ見る)の意味で記録に残った最初は、1798年。それが20世紀にはlook over quickly(ざっと見る)になった。思うに、出版物が大量に出回るようになり、1つのものをじっくり見る時間がなくなって、意味も変わったのかもしれない。
 面白いことに、ラテン語のscandereの元はギリシャ語のskandalon(stumbling block=つまずきのもと)との説がある。だから、つまずかないように慎重に「よじ登った」のかもしれない。だが、いったんつまずくとどうなるか?―そこから、scandal(スキャンダル)という言葉が生まれる。オックスフォード英語辞書(OED)によると、16世紀以降「悪評」を意味し、17世紀には「不面目な行為をやった人」も意味するようになった。scandalize(スキャンダルが公けになる)は、1489年に起源がある古い言葉である。
 TSAの役人は、ロイター通信に対して、新型スキャナーの使用に際し、身体各部の画像には〝ぼかし〟を入れる(blur any images of body parts)と述べ、〝局部〟を「ざっと見る」ことはあっても「じろじろ見る」ことはないという。ちょっとくらい見られたって長い列を待つよりましか、とも思うが、このスキャナーは使い方を1歩間違うと、スキャンダルを巻き起こしかねない。The Sankei Shimbun(March 18 2007)「グローバル・English」はこちらへ

2012年8月2日木曜日

n-word

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 n-wordは、nを頭文字にした単語という意味。カタカナ読みは「エヌ・ワード」。f-wordが意味するfuckと同様に、nで始まる禁句を婉曲的に表現しているが、ここではniggerあるいはniggaで、黒人に対するracial slur(人種差別的表現)のこと。nの付く単語はほかにもたくさんあるから、使うときは定冠詞のtheを付ける。
 ニューヨーク市議会の人権委員会は2007年2月26日、全会一致でn-wordの使用を禁止する決議を採択した。趣旨は「人種差別を助長する表現を自粛すべきだ」というもので、PC movement(差別廃止を訴える政治的正当性の運動)の1つ。
 興味深いのは、今ごろなぜ、こんな決議が採択されたのか、ということ。この言葉が〝禁句〟であることは世界中の人が知っており、〝使用自粛〟は言わずもがな、ではないのか?
 実はn-wordは、白人などが黒人に対して使う場合は禁句であるが、黒人同士の間では禁句とは見なされず、“Dear My Nigga”などと親しみを込めて使われることさえある。ところが、こうした内輪の表現が、ラップ・ミュージックの歌詞や映画などに頻繁に登場するようになって、黒人の若い世代が何の抵抗もなく使うようになってきた。これまで人種差別と闘ってきた旧世代の人たちは、このトレンドに愕然としたのである。n-wordを廃止する運動が高まり、各地で議論が起っている。
 言語学者のジニーバ・スミザマン女史は著書“Black Talk”のなかで、n-wordが問題になるのは奴隷制(enslavement)の歴史と深いつながりがあるからだ、と指摘する。niggerの語源はスペイン語で「黒」を意味するnegro。ポルトガル人の奴隷商人が、アフリカから運んできた黒人奴隷を指して使ったのが始まりだ。黒人奴隷自身は自分たちを“Colored”(有色人種)と呼び、この表現は19世紀を通じて使われたという。“Negro”が主流となるのは20世紀に入ってから。niggerはその派生形だが、マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」(1876年)にも盛んに登場するので、それ以前からずっと使われてきたようだ。
 1960年代に黒人の人権運動が盛んになり、“Negro”に代わって“Black”が登場する。1968年に国民的ソウル歌手のジェームズ・ブラウンが、“Say It Loud-I’m Black and I’m Proud”(大声で言え、俺はブラックさ、これが誇りだ)と歌ったのが、決定的な方向転換を促した。だがその後、1988年に“African American”(アフリカ系アメリカ人)と呼ぼうという提案が人権団体から出され、米国政府の人種分類の正式な用語となって現在に至っている。
 “African American”に対して、「苦闘の歴史を表していない」などさまざまな批判が黒人の間にある。“Black”か、あるいは、また“N-word”か、人種にどんな〝ラベル〟を貼るのか論争は尽きない。The Sankei shimbun(March 25 2007)

2012年8月1日水曜日

embezzlement 教会は欲望の渦・・・


Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 embezzlementは、「使い込み」「横領」「着服」。カタカナ読みは「エンべズルメント」。動詞はembezzle。「横領する人」はembezzler。
 embezzlementは、米国のカトリック教会のスキャンダルになった。タイム誌(2007年2月26日号)は“Pilfering Priests”(くすねる聖職者)という記事を掲載、カトリック教会は2002年の児童へのsexual abuse(性的虐待)の事件についで、もう一つの〝危機〟に直面している、と報じた。
 embezzleの語源は15世紀、ノルマンフランス語のembeseiller。em-は強調の接頭辞で、古フランス語のbesseller(snatch=強奪する、かっぱらう)に由来。法律の定義からすると、embezzlementはlarceny(窃盗)ではない。委託されたカネや財産を、人の信頼を裏切って自分のために使うこと(misappropriate)。だが、その本質がtheft(泥棒)であることを、語源は明確に物語っている。
 タイム誌によると、フロリダ州パームビーチ教区のセント・ビンセント・フェラー教会では、ジョン・スキハン司祭が40年間に渡って勤め、2003年に新司祭に交代。ところが、2005年の会計監査で、新旧両司祭は42年間で860万ドルを横領していたことが分かった。79歳のスキハン司祭は、〝女友達〟に13万ドル以上を渡していたほか、45万ドルもする海辺のマンションを所有していたという。両人は、grand theft(巨額窃盗罪)の容疑で逮捕された。
 米カトリック教会のembezzlementはこの事件以外にも、バージニア・コネチカット・ニュージャージー州で相次いで発覚。ペンシルベニア州ビラノバ大学の教会経営研究センターのチャック・ゼッチ所長らが調べたところ、「調査に応じた78カトリック教区の85%が横領を報告、11%が50万ドル以上の巨額に及んでいる」という。
 バージニア州リッチモンドのセント・ピーター教会の場合は、日曜日のミサで集める信者らの献金の中から10ドル札、20ドル札が消える。おかしいと思った帳簿係が教会のオフィスに隠しカメラを設置して見張っていたところ、何と60歳の女性事務員が献金箱からカネを盗んでいる現場が撮影された。タイム誌の記事の見出しに使われたpilferという語は、同じ「盗む」でも「小額ずつチビチビ盗む」ことで、ここでは「くすねる」と訳した。embezzleと同様に、15世紀以前に遡る古い言葉だ。思うに、信者からの献金や賽銭といった善意のカネは、大昔から横領され、くすねられて来た証しかもしれない。
 ただ、盗んだ司祭の側にも言い分がある。celibate(宗教的禁欲)を強いられ、「セックスも家族も犠牲にして神に奉仕しているのに、報酬が安すぎる」というのだ。教区民は中流以上なのに、聖職者の平均年俸は住居と賄い付きで3万5000㌦。「決して満足できるものではない」という弁解を、神様はいかに聞くだろうか。The Sankei Shimbun(April 1 2007)