2010年12月27日月曜日

redefine


 defineは「定義する」という動詞。その前に「再び」を意味する接頭辞のre-が付いてredefine。「再定義する」という意味。つまり「見直す」こと。カタカナ読みは「リーディファイン」。
 ニューヨーク・タイムズ(12月2日付)は、“Microbe Finds Arsenic Tasty; Redefines Life”(微生物がヒ素に食欲を感じる;それは生命を再定義する)と報じた。記事によると、NASA(米航空宇宙局)の研究チームは、カリフォルニア州東部の塩湖で、生命体の維持に必要とされるリンの代わりに、有毒なヒ素を摂取して成長するバクテリアを発見した。“Scientists said the results, if confirmed, would expand the notion of what life could be and where it could be.”(科学者たちはこの結果について、確証が得られたならば、いったい生命とは何か、生命はどんな所に存在し得るか、についての認識を拡大することになろうと語った)。つまり、これまで生命体に不可欠とされた物質がないところでも、生命が宿る可能性が出てきたわけで、われわれは認識を改め、定義のほうを見直すという。この研究をしたのがNASAであるのがミソ。いわゆる、“Extraterrestrial life”(地球外生命)は意外に近くに存在するかもしれない、という可能性を示しているのだ。
 ところで、世界で今年一番のお騒がせは、自称whistleblower organization(内部告発組織)のWikiLeaks。4月にイラク戦争の民間人殺傷動画をインターネットで公開したのに続き、アフガン、イラク戦争関連の機密文書、そして先月末にはアメリカ外交公電約25万点を公にした。インターナショナル・ビジネス・タイムズ(11月23日付)は、“WikiLeaks Says Next Release Will ‘Redefine’ Global History”(次回の発表は地球の歴史を再定義するだろうと、ウィキリークスが語る)との記事を掲載。それによると、“It is planning a mega-release of nearly 2.8 million secret documents.”(約280万点の秘密文書の大発表を計画している)という。アメリカ外交公電は、その1割以下に過ぎず、びっくりするような内容の機密文書がまだまだあると豪語しているわけだ。
 さて、ホリデーシーズンを迎え、1年を振り返って、“redefine yourself”(あなた自身を見直す)機会が必要だ。とくに、思い通りにいかずに自信をなくした人には、インターネット上で見つけた以下のtips(助言)を紹介しておこう。“Accept yourself.”(あなた自身を受け入れよ)。つまり、あるがままの自分を大事にすること。“Recognize your talents.”(あなたの才能を認めよ)。あなたには何がしか、かけがえのない才能がある。“Embrace challenges.”(課題をしっかり受け止めよ)。リスクや困難を前にして逃げないで、真っ正面から向き合うこと。そして、“Never compare.”(決して比べるな)。他人と自分を比べないこと。人は皆それぞれ違った人生を送るのだから。The Sankei Shimbun

2010年12月21日火曜日

refudiate


 refudiateのカタカナ読みは、おそらく「リフューディエイト」。おそらく、というのは新語だから、辞書にはまだ出ていない。
 この言葉は、サラ・ペイリン元アラスカ州知事の造語で、New Oxford American Dictionary(新オックスフォード米語辞典)の“the official 2010 word of the year”(2010年の公認単語)に選ばれた。それによると、refute(論破する、読み方はリフュート)とrepudiate(拒む、リピューディエイト)の合成語。reject(拒絶する)と大体同じ意味で使われるという。
 ペイリン氏は、2008年の大統領選挙で共和党の副大統領候補となり、その後も保守派の減税運動ティー・パーティーを通じて活動、米政界で今年もっとも注目を集めた。彼女は、2001年9・11中枢同時テロで破壊されたニューヨークの世界貿易センタービル跡地の近くに建設が予定されるイスラム教の礼拝所を含む文化施設に反対を表明。今年7月ツイッターで、“Ground Zero Mosque supporters: doesn’t it stab you in the heart, as it does ours throughout the heartland? Peaceful Muslims, pls refudiate.” (グランドゼロ・モスクの支持者たちへ。それは、わたしたちの中心部を突き刺すように、あなたの心を刺すことはないの?平和を愛するイスラム教徒へ、どうぞ拒絶して下さい)と書いたのが、大ヒットした。ここで、plsはpleaseの略である。
 クリスチャン・サイエンス・モニター(11月3日付)は、“Sarah Palin says election ‘refudiates’ Democrats. Yes, ‘refudiates.’”(サラ・ペイリンは、選挙は民主党を拒絶するというが、確かに、拒絶する)と報じた。彼女は、中間選挙で共和党が大勝した夜、ツイッターでこう述べた。“As always, proud to be American! Thanks, Commonsense Constitutional Conservatives, u didn’t sit down & shut up…u refudiated extreme left.”(いつもながら、アメリカ人であることを誇りに思う。良識ある憲法遵守の保守派のみなさん。あなた方は座して沈黙していなかった。あなた方は〝極左〟を拒絶した)。なお、uはyouのことである。
 ところで、refudiateの元になったrefuteの語源は、re-がback、futeはbeatで、「反撃する」。また、repudiateには、「離縁して足で蹴り出す」という意味もあるという。いずれも拒否を意味するが、その仕方が過激であるところがミソ。いかにも、ペイリン氏好みの新語だと言えそうだ。
 彼女は、さらにツイッターでrefudiateのほか、misunderestimate(ブッシュ前大統領の造語で、間違って過小評価する)、wee-wee’d up(オバマ大統領の造語だが、意味不明)を挙げて、“English is a living language. Shakespeare liked to coin new words too. Got to celebrate it! ” (英語は生きた言葉。シェイクスピアも新たな造語を好んだ。新語に祝福あれ!) と述べ、意気軒高だ。The Sankei Shimbun


2010年12月13日月曜日

range anxiety


 rangeは、もとは「列」や「幅」を意味するが、ここでは、車が走る「走行距離」を意味する。anxietyは「心配」「不安」。そこで、range anxietyは「走行距離に対する不安」である。カタカナ読みは「レインジ・アンザイァティ」。
 ニューヨーク・タイムズ(昨年1月15日付)の新語欄では、range anxietyを“The fear of being stranded in an electric car because of insufficient battery performance ― said to be a barrier to sales of electric vehicles.”(不十分な電池の性能のために電気自動車がエンコする恐れ―電気自動車販売の障壁であるという)と定義している。もう少し正確にいえば、“It refers to a driver’s fear of using the electric car for longer trips because there is no quick way to recharge if the battery runs down.”(電池が切れた場合に素早く充電する方法がないので、より長い距離のドライブに使えないのでは、というドライバーの恐れを指す=ウォールストリート・ジャーナル)。
 だが、一般的な電気自動車のrange(連続して走行できる距離)はどれくらいであろうか?
 米国では、通勤や買い物など日常生活で車を使用する場合、100㍄(約161㌔)が目安になるという。“The industry has worked on new battery technology which holds the promise of a 100-mile range.”(業界は、100㍄の走行距離を補償する新たな電池技術の開発に取り組んできた)。現在の技術水準では、100㍄を実現するため、最高速度を時速85㍄に制限しなければならない上に、家庭で充電した場合、1回の充電に一晩近くかかってしまうという。それだけに、電気自動車のユーザーの多くがrange anxietyに悩まされている。
 ところで、ウォールストリート・ジャーナル(9月1日付)のブログは、“General Motors Wants Trademark for ‘Range Anxiety’ ”(GMが「レインジ・アンザイァティ」の登録商標を求める)と報じた。range anxietyの語は、実はGMの役員が1990年代末から2000年初頭に初めて使用したとされる。同社はこの言葉を商標登録して独占的に使い、今後、電池が切れた時の発電用のガソリン・エンジンを搭載した電気自動車Voltを売り込む計画という。もっとも同業他社は、“By all means, GM can have ‘range anxiety.’”(どんなことをしたって、GMも「レインジ・アンザイァティ」を抱えることになる)と静観の構えだ。
 さて、われわれは自分の知らないことや未知の世界に直面した場合、不安に陥る。だが、それは極めて自然な反応であろう。不安になるから用心するし、事態を改善しようとする。詩人のT・S・エリオットは“Anxiety is the hand maiden of creativity.”(不安は創造性の助手)と述べており、range anxietyは電気自動車発達のカギを握る、と言い添えておく。The Sankei Shimbun

2010年12月6日月曜日

Internet posting


 Internetは「インターネット」で、postingは、post(公表する、掲示する)の動名詞形。Internet postingは「インターネットへの掲示」。カタカナ読みは「インターネット・ポゥスティング」。
 今月初めに起きた沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を撮影したビデオ映像がインターネット上に流出した事件について、11月8日付AP通信は“Authorities launched a criminal investigation into the leak of a video of a collision between Japanese coast guard vessels and a Chinese fishing boat.”(当局は、日本の海上保安庁の船と中国漁船が衝突したビデオの〝漏えい〟の犯罪捜査に乗り出した)と報じた。ここでは、ビデオ流出を犯罪とみなしているから、leakという単語を使っている。けれども、客観的にビデオ流出の事実を記述する場合には、“the unofficial posting on YouTube ”(ユーチューブへの非公式の掲示=同日付ウォールストリート・ジャーナル)のように、postingを使っている。
 つまり、Internet postingの語は、それ自体には善悪の価値判断を含ない。leak(情報漏えい)になるのか、whistleblowing(内部告発)になるかは、別のことである。
 ニューヨーク・タイムズ(11月8日付)は、“Company Accused of Firing Over Facebook Post”(フェースブックの掲示をめぐる解雇で会社側を告発)と報じた中で、“The National Labor Relations Board has accused a company of illegally firing an employee after she criticized her supervisor on her Facebook page.”(全米労働関係委員会=NLRBは、女性従業員がフェースブックの自分のページで監督官を非難した後に、違法に解雇したとして、企業を告発した)と述べた。
 ここでpostは、Internet postingと同じ。記事は、女性従業員がフェースブックで上司を批判したことを〝中立〟の立場でとらえている点がミソ。フェースブックに上司の悪口をpostingすれば、従来の慣行では、それが解雇に相当するかは別にして、その行為は非難されるだろう。だが、NLRBの判断は、今回違っていた。委員会の法務顧問はAP通信(11月9日付)に対して、"It's the same as talking at the water cooler."(それは水飲み場での立ち話と同じ)と述べた上で、"The point is that employees have protection under the law to talk to each other about conditions at work."(重要な点は、従業員が職場の状態についてお互いに話し合うことが、法の下に保護されているということ)と指摘しているのだ。
 “Don’t wash your dirty laundry in public.”(汚い洗濯物は公で洗うな=内輪の恥を表にさらすな)という慣用表現が、英語世界でもこれまで生きてきた。だが、それでは汚れが落ちない、というのであれば、“Wash your dirty laundry in public!”。それも、やむを得ないか。The Sankei Shimbun

2010年11月29日月曜日

iPod oblivion


 iPodは、米アップル社が販売する携帯型デジタル音楽プレーヤーだが、ここでは象徴的に使われている。oblivionは「忘れること」「忘却」。iPod oblivionは、「iPodによる忘却」。ニューヨーク・タイムズ(7月12日付)の新語欄は、“the inattentiveness of those engrossed with MP3 players, cell phones and other similar devices”(MP3プレーヤーやケータイなどに夢中になり、不注意になること)と説明している。カタカナ読みは「アイポッド・オブリヴィァン」。
 iPodは今や広く普及し、日常会話では固有名詞の枠を越えて、普通名詞扱いになってきた。すでに、2002年ごろからiPodder(カタカナ読み=アイポダー)という単語も登場。「iPodを使う人」という意味で、白いイヤホンのコードを耳から垂らして音楽を楽しむ若者たちを指すようになった。
 だが、今度は音楽に夢中になるあまり、周囲で起こっていることに気がつかない現象が、divided attention(注意力の分散)として問題になってきた。音楽を聴くだけでなく、ケータイで話しながら、メールをしながら―などの〝ながら族〟の不注意な運転による交通事故が続出するに至って、“Distracted driving is a huge problem in America.”(不注意運転はアメリカで大きな問題である)という状況。distract は「注意をそらす」という動詞で、distracted drivingは、かつては「わき見運転」と訳されたが、今では上記のように「わき見」だけが原因ではないのだ。
 ところで、iPod oblivionが問題になるのは、車の運転だけではない。BBCニュース(7月1日付)は、シドニー発で、“How dangerous is it to walk, talk and listen?”(歩き、話し、聴くことはいかに危険か)とのリポートを報じた。その中で、オーストラリアの警察は“iPod oblivion can be lethal for pedestrians and cyclists, alike.”(〝ながら族〟の不注意は、歩行者や自転車に乗る人にとっても、同様に致命的だ)と指摘する。
 豪ヴィクトリア州では、近年、歩行中の交通事故による死傷者が増加、その多くが歩行者側の〝ながら族〟の不注意によるという。“Some of the worst offenders are pedestrians who not only listen to music with headphones plugged into both ears, but simultaneously punch out text messages or check e-mails as they pound the pavement.”(最悪の違反者の中には、道路を歩きまわるときに、両耳にヘッドホンを付けて音楽を聴きながら、同時にメッセージを打ったりメールをチェックしている歩行者がいる)という。また、iPodを聴きながら、ペダルをこいでいるサイクリストの事故も増えている。警察官はこういう。“You call it ‘iPod oblivion’, I just call it stupidity.”(あなたはそれをアイポッド・オブリヴィァンと呼ぶが、私は単にそれをバカと呼ぶ)。The Sankei Shimbun