2013年3月29日金曜日

phantom vibration 心はいつも着信を待っている




 phantomは「幽霊」または「幻想」「幻覚」。一方、vibration(バイブレーション)は、cell phone's vibration、すなわちケータイを〝マナーモード〟(英語ではvibration alert=振動報知)にしたときに着信を知らせる振動のこと。そこで、phantom vibrationは、「振動の幻覚」。着信がないのにケータイが振動したように錯覚すること。
 オーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド(2012年2月9日付)は、“‘Phantom’ mobile phone vibrations: why we get them”(ケータイの振動の幻覚、なぜわれわれは感じるのか)との解説記事を載せた。“Bzzt, bzzt. You check the supposed vibration in your pocket, yet no one has called or sent you an SMS.”(ブー、ブー。あなたはポケットで振動したのかと確かめてみるが、誰も電話をしていないしSMSも送っていない)ということがある。SMSはShort Message Service、つまりメールのこと。こうした現象を少なくとも6割以上のケータイユーザーが経験しており、 “phantom vibration syndrome”(幻覚振動症候群)などと呼ばれているという。
 かつて、着信メロディがなかったころ、ケータイが鳴ってないのに、鳴ったように錯覚するphantom ringingが問題になった。人混みなどで一般的な着信音を聞くと、つい自分のケータイに手が行った。最近は、他人の迷惑を考えてマナーモードにすることが増えているので、ポケットのケータイがちょっと動いてもビクリとするのだ。
 なぜ、こんなことが起こるのか?
 現象が問題になり始めた当初のUSA Today(2007年6月12日付)は、“Good vibrations? Bad? None at all?”(よい振動か、悪い振動か、または振動は全くないのか)との記事を掲載。ケータイ会社は、勝手にケータイが振動することはない、とした上で、“Perhaps in the mind of the cellphone user only.” (たぶんケータイユーザーの心の中だけ)で感じられるのだろうと指摘した。
 ケータイを手放せなくなった今、心はいつも着信を待ち構えている…。

2013年3月25日月曜日

bullycide



 bullyは「いじめ」。cideは「殺人」を意味する連結形だが、suicide(自殺)を指す。bullycideはズバリ「いじめ自殺」。子供たちが学校でいじめられた末に自殺すること。
  Neil MarrとTim Fieldの2人の著者が3年間に渡って調査を行い、2001年に”Bullycide: Death
At Playtime”(いじめ自殺:遊び時間の死)を出版した。その中で、いじめで犠牲者が死に至るケースをbullycideと定義したことに始まるが、そのほとんどが自殺であることから「いじめ自殺」。
 米国のChristopher Burgess氏は、“Bullying: The 34 we lost in 2010 to Bullycide”(いじめ、2010年にわれわれは34人をいじめ自殺で失った)と米国の事情を報告している。
 その中で、“Bully, Bullying, Cyberbullying, and Bullycide – These four words continue to appear with ever greater frequency in the lexicon of the modern American family.”(いじめ、いじめること、インターネットのいじめ、そしていじめ自殺、この4つの言葉が現代のアメリカの家庭で非常に頻繁に使われる言葉になってしまった)と述べている。その悲惨な現実は日本と変わらない。そして、保護者や教師が抱える重い課題であることも。
 最近では、さらにallergy bullying(アレルギーいじめ)という言葉も出てきた。
 “Intimidating a person, particularly a schoolmate, by threatening exposure to a food that the person is allergic to”(食物アレルギーを持つ人、とくに学校のクラスメイトに対して、その食物にさらすように脅して怖がらせる)ことを意味している。
 CNN(2013年1月7日)は、“Allergy bullying: When food is a weapon”(アレルギーいじめ:食物が凶器となるとき)と報じた。Owen Kellog君は7歳でピーナッツのアレルギーがあるが、ある日泣いて家に帰ってきた。というのも、別の生徒がOwen君にピーナッツを食べさせようとしたからだった。食物アレルギーの子供は、アレルギーのある食物を食べたら死ぬ場合がるので、こうしたいじめは殺人に至るものだ。学校の安全をどうして確保するのか、厳しい事態に直面している。
 

2013年3月21日木曜日

woot or w00t



 wootはカタカナ読みで「ウート」。物事に成功したり、勝利したときの“a small cry of joy” (小さな歓声)を表現する新語である。日本語でいうと「やったあ!」。
 “Woot! Woot! Electrifying win!” (やったあ、やったあ。電撃的勝利だ)とか“Woot! We did it! Fantastic!”(やったあ。おれたちはやった。すばらしい)など、ツイッターやブログに頻出するが、最近は一般のメディアでも見られる。
 この言葉が使われるようになったのは1990年代。2007年にメリアム・ウェブスターの“Word of the Year”に選ばれたほか、2011年にオックスフォード英語辞典(OED)に登録された。
 だが、語源には諸説がある。語源研究者のマイケル・キニオン氏によると、世界中で楽しまれている米国発のファンタジーゲーム、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のプレイヤーが宝物を見つけたときに上げる喜びの声、“Wow! Loot!”(わあ、戦利品だ)から来たという説がある。よく似た説では、ハッカーがコンピューターシステムに侵入し、“root”(ルートソース)までアクセスに成功したときに、“Woot, I have root!”(やったあ。ルートをつかんだ)といったのが始まりという。
 インターネット上では、この語の綴り字のwとtの間の2つのoを数字の0に変えてw00tとしている場合がある。これなどはキーボード(0はoの右斜め上にある)上の打ち間違えや遊び心を思わせるだけに、ネット起源は有力であろう。
 一方、ウェブスターの注では“We Owned the Other Team.”(われわれは相手方に勝った)という大文字の部分をつなげた言葉であるともいう。こうした略号は、ネットやケータイのテキスト語法で急増している。たとえば、LOL(laughing out loud=大声で笑う)は日本の「(笑)」に当たり、今では世界中に普及、辞書にも登録されている。
 ところで、歓声を表す一般的な英語はhurrahとかhurray(日本語ではフレー)。「わーっ」という歓声にふさわしい響きがあるように思うが、wootはいかがなものであろうか。

2013年3月20日水曜日

defriend 何ごともほどほどに…

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 defriendは、カタカナ読みで「ディフレンド」。friendは「友達」で、その前のde-は否定を意味する接頭辞。インターネット用語で動詞として使われ、“to remove a person from one's list of friends on a social networking site”(ソーシャルネットワークの友達リストから、ある人を除く)という意味。また、unfriendともいう。
 ソーシャルネットワークはコミュニケーション・メディアの花形だが、一方で人間関係のトラブルも招いている。このほどユーザーに衝撃を与えた事件が米国で起きた。AFP通信(2012年2月10日付)によると、“Facebook 'defriend' murders rattle tiny US town”(フェイスブックの〝ディフレンド〟による殺人でアメリカの小さな町は騒然)。テネシー州の町で、ある女性がフェイスブックに夢中になっていたが、“She gets very angry when people block or 'defriend' her and responds by calling to harass people who try to cut her off.”(彼女は、人々からブロック、または〝仲間はずれ〟されるのに腹を立て、仕返しに彼女を切り離そうとした人々に電話で嫌がらせをする)という挙に出た。嫌がらせを受けたのは若い夫婦で、裁判所に訴える騒ぎに発展。すると、女性の父親と彼女のボーイフレンドが、夫婦の家に乗り込んで2人を射殺したという。
 また、AP通信(2011年11月3日付)は、“Woman set fire to house of friend who "unfriended" her on Facebook”(女性が、フェイスブックの友人欄から彼女を外した友人宅に放火)と、米アイオワ州の事件を報じている。
 ところで、どんな人物をdefriendしたくなるのか? 問題になりそうなのが、“Those who keep commenting on your posts”(あなたのポストに書き込みし続ける人々)や“Those who keep sending you event invites”(イベントの招待を送り続ける人々)という。何事もほどほどにということだろう。また、“I defriend people who post the ending of a movie. Get a life!”(映画の結末をポストする連中はディフレンドだ。いい加減にしろ)。




2013年3月17日日曜日

sky-worthy 空飛ぶ車の時代がやってきた?

Illustrated by Kazuhiro Kawakita

 skyは「空」。worthyは「価値がある」という形容詞で、他の語と連結して「~に値する」という形容詞をつくる。seaworthyといえば、船舶などが「航海に適する」「航行可能な」、またairworthyといえば、航空機などが「飛行に適する」という意味。だが、sky-worthyは別の意味で「空に適する」「空を飛べる」という意味の新しい造語。カタカナ読みは「スカイ・ワーズィー」。
 英国BBC(2012年4月9日付)は、“NY Auto Show: World's first ‘sky-worthy’ car”(ニューヨークの自動車ショー:世界初の〝空飛ぶ〟車)と報じた。筆者はこの記事で初めてsky-worthyという語に接した。一般的に、空飛ぶ車はflying carというが、これはあくまでSF小説の中か、実験だけの話と思ってきた。が、sky-worthyは、空飛ぶ車に実用化の道が開かれたことを意味するのだ。
 この車は、米テラフージア社が出展したもので、FAA (Federal Aviation Administration=米連邦航空局)と NHTSA (National Highway Traffic Safety Administration=米道路交通安全局)の両方の基準を満たす陸空両用の車両と説明されている。まさに新種のハイブリッド・カーであるが、“There are significant design challenges marrying a roadworthy vehicle with a sky-worthy one”(路上走行と空中飛行の両方に適した乗り物のデザインを考案するのは、かなりの課題である)としている。車体は軽量化がはかられているだけに、果たしてcrashworthy(衝突に耐えられる)かどうか、という疑問が残る。
 1ガロン(約3.8㍑)当たりの航行距離は、陸上で35㍄、空中で28㍄。値段は27万9000㌦という。同社では、“The vehicle offers an advanced level of freedom in life, more efficiency in personal travel.”(この車は、生活により高いレベルの自由を提供し、個人の旅行をより効率的にする)と述べている。
 ところで空飛ぶ車は、将来社会を劇的に変える可能性を秘めているだけに、“noteworthy and newsworthy”(注目に値し、報道価値がある)。




basket case 手も足もでないとは?

Illustrated by Kazuhiro Kawakita

 basket caseは、アメリカン・ヘリテージ辞典によると、“One that is in a completely hopeless or useless condition”(全く絶望的で役に立たない状態にあるもの)を意味する。とくに、economic basket caseとして、巨額の財政赤字を抱えて苦境に陥っている国などを指す。
 最近、やり玉に挙がったのがギリシャ。2009年に巨額の財政赤字の隠ぺいが発覚、国債の格付けが引き下げられて、ユーロ圏のsovereign debt crisis(国家財政の破綻による債務不履行の危機)の引き金を引いた。辛口のエコノミストは、“Greece is a basket-case country. Bring back the drachma.”(2012年8月22日付の米サン・ジャーナル)と論評している。ギリシャは財政的に行き詰った国。他国に迷惑を掛けないようにユーロ圏から離脱して、隔離された元の通貨ドラクマに戻れ、というわけ。
 basket caseは、第1次大戦のころに軍隊の俗語として登場。当時の新聞には、“A basket case is a soldier who has lost both legs and both arms, and therefore cannot be carried on a stretcher.”(バスケット・ケースは、両腕・両脚を失い、担架で運べない兵士)とあり、basket(かご)で運んだという痛ましいできごとに由来する。まさに〝手も足も出ない状況〟で、誰も救いようがないというニュアンスが伝わってくる。
 サウスイースト・ヨーロピアン・タイムズ(2012年8月4日付)は、ギリシャと犬猿の仲にあるトルコについて、“Turkey's economic performance since the 2001 financial crisis has transformed the country from a classic economic basket case into one of the world's fastest growing countries.”(2001年の財政危機以来トルコの経済実績は、この国を古典的な経済苦境の状態から、世界で最も成長が加速している国の1つに変えた)と述べている。かつて財政破綻の危機に直面した国でも立派に立ち直ることはできるのだ。
 次なるbasket caseにならないか、目下心配なのは、公的債務残高がGDP(国内総生産)の200%以上に膨れ上がった日本である…。

2013年3月9日土曜日

demitarian



 demi-はラテン語でhalf(半分)を意味する。tarianはvegetarian(菜食主義者)の-tarianと同じく、「~食主義者」といったところ。では、demitarian (半分食主義者)とは、何が半分かというとmeat consumption(肉の消費量)。肉の消費量を半分にする食生活をする人を指す。demitarian dietはそうした食生活。
 この言葉は、国連環境プログラムの研究“Our Nutrient World”(われわれの栄養世界)の著者である Mark Sutton教授の造語。
 The New York Times(2013月2月22日付)は、"Would You Cut Down on Meat to Help the Environment?"(環境保護のため肉を減らすの?)という記事でdemitarianを紹介した。科学者の間では、巨大な牧畜産業は自然界のnitrogen cycle(窒素循環)に大きく影響することが知られてきた。つまり、動物の排泄する大量の糞尿(窒素が含まれる)のために環境汚染が進むという。そこで、2009年欧州で“The Barsac Declaration: Environmental Sustainability and the Demitarian Diet” (環境の維持保護と〝肉を半分にする食生活〟というバルサック宣言)が採択された。
 では、世界の肉の消費量はどれくらいで、どこの国が一番多いか?北米の年間平均消費量が121㌔㌘で、一日当たりは331㌘で一番。欧州が91㌔㌘、249㌘で2番。中国が54㌔㌘で147㌘—などで、世界平均は39㌔㌘という(Wikipedia)。なるほど、これを半分にすれば環境破壊は随分減るだろうが、そのためには欧米人が率先して食生活を変える必要があるというわけ。
 肉食は確かに筋肉隆々の体をつくり、ガンバリもきくが、半面大腸がんなどの原因にもなりかねない。それだけに、健康のためにも肉を食べ過ぎず、野菜を食べよう、ということになる。
 もっとも、年を取ると、それほど肉も食べたくなくなる。欧州の肉の年間平均消費量が北米よりも少ないのは、あるいは社会の高齢化によるところが大きいのかもしれない。
 だが、文豪トルストイは、”A man can live and be healthy without killing animals for food; therefore, if he eats meat, he participates in taking animal life merely for the sake of his appetite.”(人は食物にするために動物を殺すことがないならば健康に生きられる。それ故に、肉を食べるのは、ただ自己の食欲を満たすためにのみ動物の生命を奪うことに荷担することだ)と述べている。菜食主義者からすると、demitarianでも許し難い、という。


 

bionic サイボーグになりたい?

Illustrated by Kazuhiro Kawakita



 英和辞書では「生体工学の」「サイボーグ(cyborg)的な」と訳される。一説によると、米空軍医師ジャック・スティール博士が1958年に造語、古ギリシャ語に由来するbion(life=生命)に-ic(like=~のような)を付けて、“like life”(生命のような)というのが語源という。ただし、アメリカン・ヘリテージ辞典では、元の言葉はbionics(生体工学)で、bio-(生物の)とelectronics(電子工学)を合わせた言葉としている。
 bionic armやbionic legは、ハイテク技術を活用してつくられた義手や義足で、現在ではイラク戦争などで負傷し腕や足を切断した米兵が装着して、日常生活に復帰している。
 英国のデイリー・メール(2012年6月17日付)は、“‘Bionic’ woman who competed in the London Marathon will cycle from Paris to London for charity”(ロンドン・マラソンを競った〝サイボーグ〟女性が、チャリティのためにパリからロンドンまでサイクリングするだろう)と報じた。この女性は、乗馬中の事故で下半身が麻痺する障害を負ったが、bionic legsを装着し、今年4月にマラソンに出場、スタートから16日間がかりで完走した。彼女は来春、電気刺激で筋肉を動作させる自転車に乗って走るという。
 ところで、cyborgはcybernetic(人工頭脳工学の)とorganism(有機体、生命)の造語で、「改造人間」を指し、1960年代からSFの世界に登場したが、今や現実のものになりつつある。 
 医師で作家のダニエル・ウィルソン氏は、ウォールストリート・ジャーナル(2012年6月1日付)に、“Bionic brains and beyond”(サイボーグ的頭脳と、その向こうにあるもの)とのエッセイを寄稿。その中で、“High-tech implants will soon be commonplace enhancements under our skin and inside our skulls, making us stronger and smarter.”(ハイテク機器が近い将来、われわれの皮膚の下や頭蓋骨の中に普通に移植されて能力を強化し、われわれをより強く、より賢くするだろう)と述べている。

2013年3月6日水曜日

sexting

 Illustrated by Kazuhiro Kawakita

  sextingはsexとtextingを合成した言葉。textingは、コンピューター用語のtext(動詞)で“to send a text message from a mobile phone”(ケータイからテキスト・メッセージを送信すること)だが、画像などを送ることも指す。その頭にsexが付くと、送信される内容がsexually explicit(性的に露骨、わいせつな)ものとなる。カタカナ読みは「セクスティング」。
 sextingは2011年、オックスフォード英語辞典に登録された新語。ケータイの世界的な普及と機能の進化にともない、textingは21世紀に入って一般化し、その使い方も多様になってきた。恋人同士でセクシーな内容のメールや写真などをやりとりするのが流行して、10代の若者の間にも蔓延、こうした言葉が生まれる背景となった。ところで、explicit photos(露骨な写真)が恋人の手元に無事に保管されている場合はよいが、恋人関係が解消されるや、インターネット上などに流されて社会問題化する。
 英ガーディアン(2009年1月14日付)は、”Sexting craze leads to child pornography charges”(セクスティングの大流行で児童ポルノ告発へ)との記事を掲載。米国ペンシルベニア州で、10代の少女3人が同級生の男子にヌード写真をセクスティングしたことが発覚、少女らは児童ポルノの製作と配布の容疑で、少年らはその所持で告発されたケースを紹介した。また、少年の間でガールフレンドのヌード写真を公開して問題になるケースも続出、学校関係者は頭を痛めているという。
 マーケティング・アドバイザーのクリストファー・ロックヘッド氏は、米CBSニュースのブログ(2010年2月4日付)で、“The combination of bad behavior and text messaging is a growing epidemic.”(テキスト・メッセージングがよくない行為に使われる例が伝染病のように広がっている)と注意を呼び掛ける。メールの送信ボタンを押す前に、今1度思い起こそう。“Love is temporary, text messages last forever.”(愛は束の間、テキスト・メッセージは永久に残る)

2013年3月3日日曜日

active aging  先立つものは金だ!

Illustrated by Kazuhiro Kawakita



 activeは「活発な」「活動的な」という形容詞。agingは「加齢」「年を取ること」。active agingは「活動的に年を取ること」。つまり、肉体的、精神的に活発なまま年を重ねよう、というわけ。日本語の「ピンピンコロリ」に一脈通じる言葉。
 高齢社会の到来とともに、世界保健機関(WHO)もこの言葉を提唱するが、“The word ‘active’ refers to continuing participation in social, economic, cultural, spiritual and civic affairs.”(「活動的」という言葉は、社会、経済、文化、精神面、市民社会における出来事に参加し続けることを意味する)と積極的な意義付けをし、単にhealthy aging(健康的に年を取る)にとどまらないとしている。
 また、2012年は“European Year for Active Aging and Solidarity between Generations”(活動的加齢と世代間連帯の欧州年)に設定された。とくに、active agingとして高齢者の雇用と社会参加、そしてindependent living(自立生活)を目指すという。
ところで本来、年を取るというのは、心身ともに活発でなくなるプロセスなのだ。それでも活発さを維持するのは並大抵の努力ではない。
 “Active aging requires us to go on living life to the full no matter how differently.”(活動的に年を取るというのは、それぞれ生き方は違っても全力で生き続けることが要求される)と言った人がいるが、まずは、健康に努め、人に頼らないで自力で生活することを目指す必要がある。それがindependent living。この概念は、障害者の自立生活支援運動の形で1970年代のアメリカで提唱され、今や高齢者にまで拡張されて世界的なトレンドになってきた。
 さて、active agingにとって何が一番大切だろうか?英作家オスカー・ワイルドは、こう語る。“When I was young, I thought that money was the most important thing in life; now that I am old, I know it is.”(若いころ、人生で金が一番大事だと思った。今私は年老いて、それを思い知る)