snailは「カタツムリ」で、paperはnewspaper(新聞)の略称。Wordspy の定義によると、snailpaperは“a newspaper delivered physically and so more slowly compared to online news; the print edition”(オンラインのニュースに比較すると、物理的に配達されるのが遅い新聞:印刷版)。今や新聞はインターネットとのニュース競争に負けて、カタツムリのように遅い「旧聞」になったということ。
TeleRead(2013年6月8日付)の“Scissors, Paper, Screen: The Future of Reading”(ハサミと紙とスクリーン画面:読書の未来)という記事で、“It's 2013. The screens are winning adherents left and right. Print newspapers are turning into
‘snailpapers’ that arrive at our doorsteps with news that is 12 hours late.”(今は2013年、スクリーン画面は左右両陣営の支持を獲得しつつある。紙の新聞は、ニュースが12時間遅れで玄関に届けられる、カタツムリのような「旧聞」になりつつある)と述べている。
ニュース報道を旨としてきた新聞は、ネットと同じニュースを掲載する限り、ここに述べられている通り、12時間遅れの「旧聞」でしかない。おそらく読者は、インターネットと縁のない高齢者などに限られるだろう。新聞の未来は大きく変わり始めているのである。
さて、ネットの黎明期の1980年代にsnail mailという新語が登場した。すなわち、“letters, bills, and other mail delivered physically and therefore much more slowly than e-mail”(物理的に配達される手紙や請求書の類いでEメールよりはるかに遅い)というものだ。この時すでに、今日の状況が予想されていたのである。
しかしながら、紙の新聞は衰えつつあるにしても、ニュース報道は今後も必要とされるだろうし、ますますより素早い報道が要求されていくだろう。おそらく、smart phoneがこれからのニュース端末になることは間違いないのだ。
その一方で、紙の新聞は発展途上国などで依然勢力を持つように、今しばらくは存続するだろう。
それにしても、紙の新聞や書物はスクリーン画面と違って確かに遅いけれども、考える時間を与えてくれる。上記のTeleRead の記事は、“Will poor countries where paper books still prevail produce children who are smarter than those in wealthy countries where all children read on screens?”(紙の書物が普及している貧しい国の方が、スクリーン画面で本を読む豊かな国の子供よりも、より賢い子供を生み出すだろうか)と結んでいる。